連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

3月11日 2011年の午後2時46分後6年経過した7回目の日

2017-03-11 08:27:41 | 東日本大震災
福島から、原発災害避難人に対する心無い中傷。
教育者でさえも、生徒を傷つける言葉を発しつづけるという、痛ましさ。
福島原発は、経済優先の日本の体質から生まれたエネルギー供給施設。
建設前から、アメリカの原発事故と同じ型で、建設位置も危険は指摘されていたという事実。
専門家が、建設しない場合の経済最優先論理から、危険性を認識しつつも、まれな状況だからたぶん事故は起きないだろうで、建設された福島原発。
地域を維持する産業の乏しい地域に、危険を押し付けるという、”富裕者”のエゴ。
避難者を傷つける人の心理も、自分は違うという、エゴ”
大多数に属する側の言葉の暴力。暴力を認識できない鈍感な人の存在は、”人の深層はこれほどの他者に対する冷酷さをゆうしているのか”と心を重く暗く、憂鬱にする。

6年経過しても、2553人が不明のまま。
身元確認できない遺骨、遺体も被害各県に。
遺体は、病院、在宅で亡くなった方とは状況が違うということを当事者でない方々は想像していただいたことはあるでしょうか。
震災後の復旧作業に当たった方が遺体に遭遇し、安置所に運び、棺に。
安否確認の果てに、沢山、沢山並べられた棺ののぞき込む。一目で確認できる遺体、衣類などから識別しなければならない遺体もありました。
交わされ続けた会話は、”見つかっただけましだ。となりは、まだみつからないもの” など。そして今も不明のままという家族もいます。
確認できる一族郎党亡くなり、公的年金受給状況から職員が思い至り身元確認に至った方もいらっしゃるという、大規模大害後の現地です。

被災地も、現実に面しながら生きていかなければなりません。
心の闇は、闇があるからこそ、他者に向かうときは明るくふるまう。
信頼できない限り、心の闇は語らない。
365日、24時間、重苦しい記憶、闇は同伴者であり続ける。
エネルギーにあふれ、他からの需要がある能力を持った人は、震災の記憶を次への教訓として力強い人材となると期待できる。
しかし、既に高齢な人は、慣れ親しんだ環境は根こそぎ奪われ、
体が動き続く限りは、生産に携われ収入を得られた海、農地は奪われ、
所在なく、時間を過ごさなければならなくなり、虚しさを抱えたままとしか表現できないが、人生の終末、死へと向かわざるをえない現実がある



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