当直、夜回診時に、酸素飽和度が低下の報告をていた患者が,今朝未明に永眠された。
主治医ではないが、当直医として、”たまたま臨終に立ち会った” 。
家族は、枕元にはいない。
まもなく、短時間後、確実に死ぬ時点での連絡であったので。
永世への旅立ちを家族に見守られず、一人旅立たせてよかったのか?
愛しい家族の旅立ちを見守らず旅立った悲しさに思いを馳せると、
寂寥感が胸にこみあげる。
最期を迎えるまでの短時間の日常を知る看護側の対応にひきずられ、
家族への連絡を強く主張しなかったが、
淡々として悲しさの表現は押しとどめているが………。
わき上がるこの寂寥感は、いったい何だろう。
重篤にはせ参じた人々も、長引くと、誰も居ない事も希成らず。
このことも,生き残るものとしての悲しい性。
独身を貫いた,自分が見守られずに死ぬことの悲しさはない。
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