食糧供給も軌道に乗り出し、残食が出始めた。
飢えた子どもの食糧確保に時間が取れない医療スタッフ。
ガソリンは食糧確保にするか通勤の足にするか悩む医療スタッフ
残食を見つめる目は、複雑。
患者さん、医療スタッフも被災者であることを少しは慮ってください。
通常の勤務体制の確立に向けて、
食糧確保、ガソリン確保に躍起となっている院長がいます。
今日は、春分、彼岸の中日、祝日。
体調が悪いと駆け付けた患者は、単なる不安による不調。
貴重な検査試薬が奪われた!(このような感情になってしまう現状です)
気仙沼から、やっとガソリンを確保して輸血に駆け付けた患者には
家族、家の安否確認、食事は確保されているかなどいたわりあえるが、
日常的衣食が確保されている豊かな人は
非日常的、異常状態を全然実感していないことに対する
落胆、疲労、焦燥。
私を含め、疲労が蓄積してきた医療スタッフは
精神的安定を保つのに、多大な努力が必要であった。
このような場面が、増えてくるんだろうと胸苦しい圧迫感、やりきれなさ。
建物の損傷は軽微で、1階は外来、2階は病室に復帰は可能となったが、
ガソリン不足で、通勤困難な看護士が半数を占めている現在。
1階であれば、
検査部門、薬剤部門、事務部門の”目、手足”によるサポートができるが
2階に移れば、看護スタッフによる監視体制となり
疲労が蓄積した人手不足の現状では
患者の安全確保が出来ないという不安。
野戦病院並みの現状を継続するしかない不快感もある。
地震、生活の不安などで動揺している医療スタッフを支えるのは
ショック死寸前まで精神的にたたきのめされながらも
立ち直ってきたタフさで支えるしかないですかね。