すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1017号 5年、半むかし

2011-12-10 13:48:33 | Nagano Report
【Nagano】5年前のだいたい今の時間、私は24年間のワシントン生活を終えて帰国の途にあってアラスカ上空付近を飛んでいた。ついこの間まで「戻ってまだ何年しか経っていない」と感じていたが、今年の夏、やっと庭らしく見えるようになった庭を眺めながら「もう5年になるんだ」と、はじめて「もう」という気持ちになっているのに気がついた。

24年も生活している所からの引っ越しは、荷物をスーツケースに詰め込んで「じゃぁ、さようなら」といった簡単なものではなく、中でも帰国後の生活をどのように構築するかが大問題だったが、まだ世界経済が破綻する前だったこと、ドル高円安だったこと(帰国当時、1ドル120円前後)、帰国後まもなくフルタイムの仕事を得ることができたことなどの幸運が重なり、今では老後の生活の足場だけは固まった感がある。

しかし、実際に帰国してから無意識のうちにもっとストレスになっていたのは、経済的な心配よりも日本が24年の間に自分にとって外国になってしまっていたことである。

24年間に帰国するのは平均1年1回で滞在はだいたい2週間、帰国前の3年弱は一度も帰国しておらず、日本は家族や知人、あるいはニュースを通じて知る国になってしまっていたのだから、それも当然かもしれない。勤務先が日本の通信社の現地法人であったために、日々、日本のニュースをいち早く知ることができたのでまだ良かったが、そうでなければ、アメリカで日本がニュースになることは少ないので、もっともっと遠い国になっていたかもしれない。

自分の国が外国になっているのを一番感じたのは、日本人なのに日本に住んでいる人達と共通の過去がないと気づいたときである。まったく縁のない土地で暮らし始めたが、すぐに仕事が見つかり勤務するようになったお陰で行動範囲が広がって新しい友人達が沢山できたものの、その友人達と話す時に、去年は、あの時は、といった話題に当事者として参加できないのである。なにしろ、3ヶ月前や去年、いや先週のことでさえ、帰国直後の私の過去はワシントンにしかなかったのだから仕方がない。

自分自身の過去の話しはもっとしにくかった。アメリカではどうかと聞かれれば喜んで答えたが、アメリカでの生活の話を自慢話や日本批判と取ったりする人がいることに気がついたため、自分からアメリカの話しをするときにはその話しをするのが必然的な場合だけにとどめる努力を知らない間にしていた。アメリカではどうかと聞かれもしないのに、日本のやり方と比較してアメリカではこうだと言って猛反発を受けて失敗したこともある。おしゃべりな私には話さないようにするのは結構努力がいった。

24年間のブランクを埋める必要があった。帰国後最初の1年間は、耳からだけでなく映像での日本の姿を知るためにテレビを付けっぱなしで、自分の嗜好というより世の中を知るために番組を選んでいた。訳の分からなくなっていた銀行の名前もなんとかわかるようになり、車の左側通行にもなれ、現金を持ち歩く生活にもなれ、食品や雑貨を買った後に出る包装材の大きなゴミの山にもなれ、いろんな日本の習慣が自分に戻って来たが、決定打は3月の大震災だった。

境遇や意見の違いに無関係に同じ気持ちを共有できるのは、残念ながら悲惨な事故のようだ。たとえば、私にとって、神戸の悲惨さはアメリカに伝わって来た遠い国のできごとで、ニューーヨーク、ワシントン同時多発テロの方が身に迫る体験だったが、3月の大震災で私の気持ちが日本全体と一体化したのである。

帰国1年前から帰国後5年にかけての6年間、本当に色々な大変化が身にも心にも起きたが、今日、外に広がる真っ青な空をながめながら「10年一昔」ならぬ「5年半むかし」の感慨に浸っている。





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