みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

光太郎とリンゴと阿部博

2024-01-11 12:00:00 | 独居自炊の光太郎
〈『高村光太郎山居七年』より(佐藤隆房著、(財)高村記念会)〉

 先の投稿〝光太郎とリンゴ㈠〟において、光太郎とリンゴそして阿部博に関する投稿をしたが、今回もそれと関連した投稿をしたい。 
 というのは、『-201人の証言-啄木・賢治・光太郎』の「あとがき」によれば、記者生活三年目の稲谷章一が多くの人から直接取材し、執筆したのが同書だというのだが、その中に下掲のような似た記載があったからだ。

 元花巻市議の阿部博(六一)は、定期的にリンゴを差し入れて詩人の〝美的鑑賞眼〟を満足させた。昭和八年の花巻農学校卒業生である阿部は、晩年の賢治と何度か顔を合わせており、同二十一年の賢治の命日に、宮沢家に自分の果樹園でとれたリンゴを持って行った。霊前に捧げるだけのつもりだったが、その折、清六から光太郎を紹介され、以後、自転車をこいで何度も山小屋を訪問した。
 「在郷軍人会の稗貫支部長をしていた瀬川幸蔵さんと二人でよく行ったもんです。家で小さなリンゴ園をやっていたので、手みやげは竹で編んだカゴにいっぱいのデリシャスやスターキング。先生は食べること以上に見ることが好きだったようで、リンゴのさまざまな色合いをよくほめていました。わたしの方でも、先生に外国のリンゴ栽培の話を聞いたり、リンゴ作りをすすめてみたり、何度か一緒に酒も飲みましたが、感心したのはその礼儀正しさです。若い時はデカダンスな生活をしていたと聞いていたのに、どんなに飲んでも立居振る舞いを崩さない人でした」
 こんなふうに、光太郎の一人暮らしは実に多くの人に支えられていた。それらがなければ、見も知らない土地での生活は成立しなかったといってもいい。
〈『-201人の証言-啄木・賢治・光太郎』(読売新聞社盛岡支局、昭和51年)256p~〉

 これで、あの阿部博翁顕彰碑が建てられた訳がすんなりと理解出来たし、光太郎が如何に地元の人々から慕われ、また光太郎も「見も知らない土地」なのに、自分から溶け込んでいったことも示唆される。延いては、光太郎の「独居自炊」は賢治のそれとはかなり差があったということを渡しは改めて認識しなおした。

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 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

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 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
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