みちのくの山野草

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高瀬露の娘のある証言

2014-09-07 09:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《創られた賢治から愛すべき賢治に》
吉田 さて、そそそろ肝心の「聞き込みたる、若しや旧名高瀬女史の件」について検討してみようか。
荒木 あれっ今になって気付いたのだが、「旧名高瀬女史」と賢治が書いているということだから、露が結婚したということを少なくともこの昭和7年6月頃には賢治は知っていたということになるのだろうが、露の新しい姓は知っていたのかな?
吉田 案外知らなかったりするかもな……でも待てよ、あの澤里武治が昭和7年の3月末に上郷小学校を去って高等師範に入ったのと、露がその上郷小学校に着任したのは入れ違いではあるけれども、なにしろ武治が養子縁組をした澤里家と露の嫁ぎ先の小笠原家は一本の道路を挟んで真向かいだからな、露が小笠原家に嫁いだということを賢治がは知らないわけがないか。あれだけ書簡のやりとりを頻繁にしていた賢治と武治なのだから。
 まして、下根子桜時代の賢治の許を武治はしばしば訪れていたのだから武治が露のことを知らないわけも、またないはずだからな。
鈴木 そうそう「訪れていた」といえば、この度一般には知られておらずしかもとても有力な「訪れていた」情報を知ったのだった。少し長くなるがその顛末を聞いてくれ。
 過日、遠野市在住のKC氏が私のところに訪ねてきたのだが私は不在だったためお会いできなかったということがあった。そこでKC氏は拙宅の郵便受けに、露先生の教え子ですというメモを書いてご自分の名刺を入れてお帰りになった。もちろん私は早速遠野市のKC氏宅を訪問した(平成26年7月14日)。そしてKC氏からは露に関して色々なことを教えてもらった。例えば、
・昭和15年、遠野尋常高等小学校3年生の時に露(当時39歳)先生に担任をしてもらった。
・先生はとても優しくて、例えば授業が終わる少し前にはいつも佐々木喜善の民話を話してくれたり、リンゴの皮のむき方を丁寧に教えてくれたりするよう先生でした。
・あの優しい先生が「悪女扱い」されていることを知り今はびっくりしている(決してそのような先生ではないのでそのことを知ってもらいたい思って私のところを訪ねたのだそうだ)。
・露先生の家は比較的近いので時に同氏の家を訪ねることもあったし、同氏の妹と露の次女とは仲良しだった。
・あるとき、その次女が
   「(昭和7年に、)母のところに宮澤賢治が会いに来たということです」
と妹に話していたという。
 なお、同氏はなぜ賢治が露に会いに来たのかという理由もご存じのようだし、その他にも色々と露のことについて知っておられるし、かつよくをお調べになっておられるので近々そのことをまとめて発表なされる予定とおききしているから、その暁にはそれらのことなどを知ることができるはずだ。以上。
吉田 えっ、昭和7年に、賢治は遠野に露を訪ねてきていたというのか、これはまたたまげたことだ。でもそうだったとすれば凄いことが起こりそうだぞ、この娘さんの証言で全部繋がりそうだ。
荒木 へえ~どんなふうにだ。

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