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〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)〉
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否定できない。賢治が結婚したかったちゑと云われているというのに何故だったのだろうか。常識的に考えてかなりおかしなことだ。
一方で、ちゑという人は人間的にとても素晴らしい人であったようだ。それは、『光ほのかなれど―二葉保育園と徳永恕』(上笙一郎・山崎朋子著、教養文庫)や『宮沢賢治「修羅」への旅』(萩原昌好著、朝文社)そして『二葉保育園八十五年史』(二葉保育園)等によれば以下のようなことが分かるからだ。
当時、四谷鮫河橋には野口幽香と森島美根が設立した『二葉保育園』が、新宿旭町には徳永恕が活躍した『同分園』がそれぞれあり、同園は寄附金を募ったりしながら、それらを基にしてスラム街の貧しい子女のために慈善の保育活動、セツルメントをしていたという。
そして創設者の二人、野口も森島も敬虔なクリスチャンであり、ちゑが勤めていた頃の同園の実質的責任者の徳永恕もクリスチャンだったという。ちなみに、現在でも同園は「キリストの愛の精神に基づいて、健康な心とからだ、そしてゆたかな人間性を培って、一人ひとりがしっかりとした社会に自立していけることを目標としています」という理念を掲げている。
ところが大正12年、あの関東大震災によって旭町の『分園』は焼失、鮫河橋の『本園』は火災を免れたものの大破損の被害を蒙ったという。そのような大変な状況下にあった再建未だしの『二葉保育園』に、大正13年9月から保母として勤務し始めた一人の岩手出身の女性がいた。他ならぬ伊藤ちゑその人である。ちなみに同『八十五年史』によれば、ちゑは少なくとも大正13年9月~大正15年及び昭和3年~4年の間勤めていたことが判る。おそらく、この在職期間の空白は兄七雄の看病のために伊豆大島に行っていた期間と考えられる。
また、『宮沢賢治「修羅」への旅』によれば、同島の新聞『島之新聞』の昭和5年9月26日付記事の中には、
あはれな老人へ毎月五円づつ恵む若き女性――伊藤千枝子
〈『宮沢賢治「修羅」への旅』(萩原昌好著、朝文社)317p〉
という見出しの記事があり、兄の看病のために同島に滞在していた伊藤ちゑは、隣家の気の毒な老婆に何くれと世話を焼き、後に東京に戻って『二葉保育園』に復職してからもその老婆に毎月5円もの仕送りをし続けていたという内容の報道があったという。
何と素晴らしい人物ではなかろうか、伊藤ちゑという人は。このような『二葉保育園』でスラム街の子女のためのセツルメント活動等に我が身をなげうち、あるいはまた何の繋がりもない憐れな老婆に薄給から毎月送金していたという優しい心の持ち主だったということになるからだ。
なお、平成28年10月22日にその『二葉保育園』を私も実際に訪ねてみたところ、
基本的には当時の本園の保母はクリスチャンでしたから、伊藤ちゑもそうだったと思います。
ということを同園の責任者のお一人がを教えてくれた。したがって、当時のちゑはクリスチャンであったか、あるいはそうでなかったとしても、『二葉保育園』に勤めてスラム街の貧しい子女のためにストイックで献身的な生き方をしていた「聖女の如き人」であったと言える。そして、賢治はそのちゑと「見合い」をしたわけだから、ちゑが「聖女のさまして」見えていたであろうことも間違いなかろう。
よって、
「聖女のさまし」た女性として賢治周辺に露がいたが、ちゑもいたのである。
ということも、延いては先の、
露はクリスチャンだ、クリスチャンは聖女だ、だからこの詩〔聖女のさましてちかづけるもの〕は露のことをモデルとして詠んでいる。
という断定は安直であるということもこれで納得したもらえたはずだ。露一人だけがそのモデルの候補だったわけではなく、ちゑもその候補の一人だったということがこれで明らかになったからだ。
ところで当の賢治は昭和6年頃自身の結婚についてどのように考えていたのだろうか。森荘已池は、昭和6年7月7日の出来事として、
どんぶりもきれいに食べてしまうと、カバンから二、三円(ママ)の本を出す。和とぢの本だ。
「あなたは清濁あわせのむ人だからお目にかけましよう。」
と宮沢さんいう。みるとそれは「春本」だつた。春信に似て居るけれど、春信ではないと思う――というと、目が高いとほめられた。
…(筆者略)…そして次のようにいつた。
「ハバロツク・エリスの性の本なども英文で読めば、植物や動物や化学などの原書と感じはちつとも違わないのです。それを日本文にすれば、ひどく挑撥的になつて、伏字にしなければならなくなりますね」
こんな風にいつてから、またつづけた。
「禁欲は、けつきよく何にもなりませんでしたよ、その大きな反動がきて病氣になつたのです。」
自分はまた、ずいぶん大きな問題を話しだしたものと思う。少なくとも、百八十度どころの廻轉ではない。天と地とが、ひつくりかえると同じことぢやないか。
「何か大きないいことがあるという。功利的な考へからやつたのですが、まるつきりムダでした。」
そういつてから、しばらくして又いつた。
「昔聖人君子も五十歳になるとさとりがひらけるといつたそうですが、五十にもなれば自然に陽道がとじるのがあたりまえですよ。みな僞善に過ぎませんよ。」
私はそのはげしい言い方に少し呆れる。
「草や木や自然を書くようにエロのことを書きたい。」
という。
「いいでしようね。」
と私は答えた。
「いい材料はたくさんありますよ。」
と宮沢さんいう。 〈『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房、昭和24)107p~〉
というやりとりを紹介しているから、もしこの内容が事実であったとすれば、どうやらこの頃の賢治はかつてとはすっかり様変わりしてしまっていたようだ。
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