《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
(承前)
(承前)
そして、今もやはり相変わらず私が不思議に思っていることは、
どうして、賢治と大正15年の大干魃被害に関して、賢治研究家の誰一人として少なくとも公的には一切論じていないのか。
ということである。この時に賢治がどう対応したかということを確認しない限り、賢治を正しく捉えることはできないと私は思っている。そうしない限りは賢治の真実の全容は見えてこないし、それを知ることを虞ていてはならないはずだ。そしてそこを乗り越えれば、また賢治の新たな広大な地平線が見えてくるのではなかろうか。後々、「平成27年9月19日は一度議会制民主主義が死んだ日だった」と歴史から裁きを受けるでしょう。
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