《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》
この度、『新校本宮澤賢治全集第十六巻(上)草稿通観篇』を見ていてびっくりした。それは、「書簡通観」に次のようなリストが掲げられていたからだ。<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(上)草稿通観篇』(筑摩書房)より>
しかし、書簡下書群252a~252cに関しては『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡』では、
<『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡』(筑摩書房)より>
としているわけだから、本来ならばこのリストの中には推定〝〔 〕〟記号を用いるべき個所がかなりの数あるはずだが、それが一切ないことを知ったからだ。
もともとが、『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)で『新発見』と嘯いたいわく付きの書簡下書群だし、しかも、それが高瀬露宛であることの客観的な裏付けを筑摩は明示していないものであった。また、『書簡篇』では上掲のように252b、252cは〔小笠原露〕となっている。ところがそれが、「書簡通観」になると推定記号の〝〔 〕〟が削除されている。これでは、一般読者はこれらは小笠原露(高瀬露)宛であると受け止めるだろう。それどころか、以前私は『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)のような書き方だと推定〝〔 〕〟記号がない形で一般読者の間で独り歩きするのではなかろうかということを危惧していたが、何と、読者どころか当事者の間でさえも独り歩きしているとも言える。
そして、今回調べていて気付いた重大事項がもう一つ見つかった。まずは下掲の写真<*1>を見てもらいたい。
<『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)より>
これは、『旧校本全集第十四巻』の場合のものであり、書簡下書252a~252cのいずれもが推定の
〔高瀬露あて〕
となっていて、断定などしていない。
ところが『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡』になると、書簡下書252aのあて先は
小笠原露あて
となっているので、同巻はしれっとして推定〝〔 〕〟記号を外したと非難されても致し方なかろう(これが単なるケアレスミスでないことはもはや明らか)。
はてさて、この実態は如何なものであろうか。この件に関しては、筑摩書房の一連の対処の仕方はあまりにも杜撰すぎると言われてしまうのではなかろうかと、私は他人事ながら心配だ。
<*1:註> この写真の中にある左端部分において、
本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている
と筑摩は述べているのだが、たったこれだけである。この他に、どこにもこのことに関する客観的で説得力のある言及はない。本文のどことどこから、どういう論理で判然としていると判断したのかが明示されていない。判然としているといわれても、それこそ全く判然としていない。
後々、「平成27年9月19日は一度議会制民主主義が死んだ日だった」と歴史から裁きを受けるでしょう。
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