みちのくの山野草

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〝『随聞』二一五頁〟はこうなっているというのに

2017-12-20 09:00:00 | 賢治の目を見れますか
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影)
 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、「あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますか」と。

 さて、その典拠だというところの〝『随聞』二一五頁〟を実際に見てみると次のようになっている。
 昭和二年十一月ころだったと思います。…(投稿者略)…その十一月びしょびしょみぞれの降る寒い日でした。
 「沢里君、セロを持って上京して来る、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」そういってセロを持ち単身上京なさいました。そのとき花巻駅でお見送りしたのは私一人でした。…(投稿者略)…そして先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました。
              <『賢治随聞』(関登久也著、角川選書)215pより>
 そこで基本に忠実にこの典拠に従えば、賢治のことを多少知っている人ならば直ぐおかしいということに気付くはずだ。それはもちろん、
   今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、
という賢治の決意が述べてあり、それに対応する
   そして先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました。
という澤里武治の証言があるからだ。

 端的に言えば、この「三か月」とは何ぞや。「現賢治年譜」にこの「三か月間」などというものはどこにも顔を見せていないじゃないか、ということだ。

 周知のように、「現賢治年譜」(『新校本年譜』)では、
 (大正15年)一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。………★
とあり、賢治がこのような上京をした霙の降る寒い日は「大正15年12月2日」であったというのが定説となっている。しかもご丁寧に、この註釈として同年譜は、
 関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている。
と、その変更の根拠も明示せずに、「…ものと見られる」とか「…のことと改めることになっている」と、まるで思考停止したかの如き、あるいは他人事のような註釈をしているのである。
 典拠であるという〝『随聞』二一五頁〟の澤里武治の証言によれば、その時の賢治の上京・滞京については、
     (1) その出発は昭和2年のことである。
     (2) その出発時期は11月である。
     (3) その滞京期間は三か月間であった。
というのにも拘わらずにである。だからもちろん、
 〝(3)〟は「現賢治年譜」に対する決定的な「反例」になっているので、「定説」となっているこの〝★〟は即棄却せねばならない。<*1>

 もう少し具体的に説明をすると、典拠としている〝『随聞』二一五頁〟には、
そして先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました。
とあるのに、「現賢治年譜」にはこの「三か月」を当て嵌めることが出来ないからだ。大正15年12月2日に上京しているならば、どうあがいてもその「三か月間」を同年12月2日以降に当て嵌めることが出来ないことは、下表


をご覧いただければ直ぐに判る。〝『随聞』二一五頁〟に素直に従うとするならば、「現賢治年譜」の大正15年12月2日以降の「三か月」にそれを当て嵌めることは不可能だということは普通だったら誰でも直ぐに判る。

 だから誤解を恐れずに正直に言わせてもらえば、「現賢治年譜」では典拠を恣意的に使っているということになる。牽強付会なことがそこではしれっとして行われているのである。しかも、このことについて賢治研究家の誰一人として公には疑義を呈していないという、摩訶不思議なことが今まであったし、今もあるし、当面解消されそうにもない。

 では、この〝『随聞』二一五頁〟を恣意的に使わずに、そのまま「現賢治年譜」に当て嵌めてみたらどうなるのであろうか、それは次回へ。

<*1:投稿者註> いかなる「定説」といえども所詮は仮説にすぎないのだから、その反例が一つあるだけで当該の「定説」は成り立たなくなるというのが当然の論理であり、即棄却されるべきものである。

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