みちのくの山野草

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あなたは賢治の目を見れますか

2017-12-19 15:00:00 | 賢治の目を見れますか
《賢治詩碑》(平成20年11月23日撮影)
 まず最初に述べておきたい、
 典拠であるという『随聞』を少し調べただけであやかしだということが直ぐ判るのに、なぜ賢治研究家は沈黙し続けているのだろうか? だから私は問いたい、あなたは賢治の目を真っ直ぐに見れますかと。
それは、石井洋二郎氏の式辞を知ってからの私は、賢治に関する「通説」等で極めておかしい点を検証してみた結果がやはりおかしいのであれば、勇気を持ってそれはおかしいと言うべきだと決意したからだ。
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 一年ちょっと前に、澤里武治のご子息裕氏から、武治自筆の
(その一)「略歴」
(その二)「恩師宮沢賢治との師弟関係について」
(その三)「附記」
を見せていただいた。そこで、やはりあのことはますますおかしいということを私は確信したので、そのことについてこれからしばし私見を述べていきたい。

 さて、『新校本年譜』では、
 (大正15年)一二月二日(木) セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち沢里と改姓)武治がひとり見送る。
とあり、この注釈として
 関『随聞』二一五頁の記述をもとに校本全集年譜で要約したものと見られる。ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を、大正一五年のことと改めることになっている。
とあるがこれはおかしい。その変更の根拠も明示せずに、「…ものと見られる」とか「…のことと改めることになっている」とまるで思考停止したかの如き表現が、『校本』と銘打った全集の中に登場しているという奇妙な現象が起こっているからだ。
 しかも、その「関『随聞』二一五頁」を実際に見てみるとどうなっているのかというと、……それは全くひどいものだ。典拠が恣意的に使われていることが直ぐ判るからだ。

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 〒 028-1121
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        0193-42―6100
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