みちのくの山野草

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『宮沢賢治とクリスチャン 花巻編』について

2015-10-04 08:30:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
 後々、「平成27年9月19日は一度議会制民主主義が死んだ日だった」と歴史から裁きを受けるでしょう。
《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》

 一昨日(H27/10/2)、雜賀 信行氏からこの9月21日に『宮沢賢治とクリスチャン 花巻編』(雜賀 信行著、雜賀編集工房)を出版したということで、上掲のような同書が私の許に送られてきた。そしてその裏表紙は下掲のとおりである。


 実は著者の雜賀氏はこの8月31日に拙宅を訪ねて来られた方で、上田哲との私の共著『宮澤賢治と高瀬露』をご覧になって私に興味をお持ちになり、取材に訪れたようであった。その折のことを雜賀氏は、本書『宮沢賢治とクリスチャン 花巻編』の「あとがきに代えて」において、
 露の実像について先行調査されたカトリック信者の上田哲先生亡き後、「あまりにも事実とかけ離れた高瀬露の汚名を何とかはらしたい」という使命感に立っておられる鈴木さんを、私も微力ながら応援できればと思わされた。
と綴っておられて、とてもありがたかった。私以上に露のことをご存じであるとお見受けした雜賀氏から、こう仰っていただくのは光栄である。ただし、私自身は「高瀬露の汚名を何とかはらしたい」というよりは、それこそ、微力ながらも「高瀬露の濡れ衣を晴らすために少しでも役立ちたい」という想いでおり、相変わらず非力な自分を託っている。

 さて、同書の目次は以下のようなものであり、

この中の「4 高瀬露と高橋慶吾」の最後に、
 「賢治を困らせた変わった女」という十字架を負って生きなければならなかった露としては、「オツベル」は賢治研究者、「象」は自分のようにおもえてならなかったのではないだろうか。
と雜賀氏が「オツベル」と「象」をそれぞれになぞらえながら述べていたことがとても心に残った。
 さて、ではこれは何を受けたものかというと、同氏がこの前の部分で次のようなことを論じていることをである。
 露は「オツペ(1)ルに虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ」と詠んでいるが…(投稿者略)…
 童話「オツベルと象」は、ずる賢い地主のオツベルに騙されれて、こき使われる白い象の物語である。最初、たきぎ運びを頼まれて、喜んでやり遂げた後、「ああ、せいせいした。サンタマリア」と目を細めて満足していたが、次の日も次の日も別の用事を頼まれるだけでなく、少しずつ餌を減らされていくと、白象の感謝の祈りも「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と変わっていき、やがて「苦しいです。サンタマリア」と訴えたのを聞いたオツベルは、ますます白象につらく当たるようになる。ついに白象は「もう、さようなら、サンタマリア」と言って倒れ込むと……。
 この作品が雑誌『月曜』に発表されたのは、賢治が花巻農学校を退職する直前である。これもある意味できわめてキリスト教的な作品だ(2)。つまり、虐げられている者が救済される物語であり(3)、しかも主人公の白象は「サンタマリア」、つまりカトリックの人のように聖母マリアにとりなしの祈りをささげているからである。そしてラストはまるで、聖書で預言されている終わりの日、最終的な裁きが神によって下される時のようだ。
              <『宮沢賢治とクリスチャン 花巻編』(雜賀 信行著、雜賀編集工房)190p~より>

 実は私も露のこの短歌、
     オツペルに虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ
は気になったものであったので、以前、拙論「聖女の如き高瀬露」の7p(『宮澤賢治と高瀬露』所収)において、
 実は、露は「露草(註三)」という号を用いて、昭和14年12月13日に「賢治先生の靈に捧ぐ」と題して次のような歌を五首詠んでいる。
・君逝きて七度迎ふるこの冬は早池の峯に思ひこそ積め
・ポラーノの廣場に咲けるつめくさの早池の峯に吾は求めむ
・オツペ(ママ)ルに虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ
・粉々のこの日雪を身に浴びつ君がの香によひて居り
・ひたむきに吾のぼり行く山道にしるべとなりて師は存すなり
             <『イーハトーヴォ第四號』((菊池暁輝編輯、宮澤賢治の會)より>
 また、昭和15年9月1日には「賢治の集ひ」と題して、こちらの場合には小笠原露の名で次のような歌四首を詠んでいる。
・師の君をしのび來りてこの一日心ゆくまで歌ふ語りぬ
・教へ子ら集ひ歌ひ語らへばこの部屋ぬちにみ師を仰ぎぬ
・いく度か首をたれて涙ぐみみ師には告げぬ悲しき心
・女子のゆくべき道を説きませるみ師の面影忘られなくに
             <『イーハトーヴォ第十號』(同)>より>
 一方で、『イーハトーヴォ創刊號』(同)には露の名こそ顕わに使っていないものの、それが露であることがわかる人にはわかるような書き方でいわゆる<悪女伝説>をゴシップ仕立て(後述する)で載せている。したがって、おそらく露は自分がそのような扱い方をされているということを知りつつも、「み師」などの尊称を用いて、崇敬の念を抱きながら賢治を偲ぶ歌を折に触れて詠んでいたということがこれでわかる。
 一方、上田哲は高瀬露本人から直接聞いたのであろう、
 彼女は生涯一言の弁解もしなかった。この問題について口が重く、事実でないことが語り継がれている、とはっきり言ったほか、多くを語らなかった。
             <『図説宮沢賢治』(上田、関山等共著、河出書房新社)93p~より>
とも述べている。
 もはや、以上の事柄だけからしても露が賢治に対してどのような想いを抱きつづけたか、また露の品格が如何なるものであったかが容易に推察できる(とはいえ、前掲の「オツペ(ママ)ルに虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ」や「いく度か首をたれて涙ぐみみ師には告げぬ悲しき心」の歌からはとりわけ、必死に耐えている健気な露の姿も私の眼に浮かぶのだが)。
と述べてみたのだが、それはたった
 とはいえ、前掲の「オツペ(ママ)ルに虐げられし象のごと心疲れて山に憩ひぬ」や「いく度か首をたれて涙ぐみみ師には告げぬ悲しき心」の歌からはとりわけ、必死に耐えている健気な露の姿も私の眼に浮かぶのだが。
という程度のものにすぎなかった。それを、カトリックに詳しい雜賀氏は先のように分析して論じていたから、私は感心頻りだった。

 以上、私達の『宮澤賢治と高瀬露』は自費出版なので入手しにくいでしょうが、雜賀氏の『宮沢賢治とクリスチャン 花巻編』は全国どこでも容易に入手できると思いますのでお勧めいたします。

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