〈『本統の賢治と本当の露』の表紙〉
私は、少し前までは
かつては、作家と作品の関係から作品を解釈する「作品論」や「作家論」が主流だったが、昨今の主流は「テクスト論」だ。
と思い込んでいた。ちなみに、「コトバンク」によれば、「テクスト論」については、
文章を作者の意図に支配されたものと見るのではなく、あくまでも文章それ自体として読むべきだとする思想のことをいう。文章はいったん書かれれば、作者自身との連関を断たれた自律的なもの(テクスト)となり、多様な読まれ方を許すようになる。
とある。そこで私は、偉い賢治研究家になればなるほど、「作品」と「作者」は別物であり、「作品」は「作者」から切り離して読むべきだと主張し、実践なさっておられるのではないだろうかと思い込んでいた。しかし文学研究家でもない素人の私は、「テクスト論」の場合それを徹底すると、例の「作者の死」はやはり避けられないのではなかろかと、するとおのずから、「テクスト論」には限界があるのではなかろうかと思い悩んでいた。作者を死なせてしまって、その人の「作品」がはたしてわかるものだろうかと私は直感的に疑ったからだ。
ところがである、実際、昨今では、やはり「テクスト論」にも限界があるということを例えば石井洋二郎氏は論じていた。もちろん、同氏の著作『文学の思考』(東京大学出版会)は私にとっては難しすぎるので、私は誤解をしているかもしれないのだが、同氏はこう問題提起しているのではないだろうか。
例えば、
外的読解(多分「作品論・作家論」的読解のこと:投稿者註)への過度の信頼がしばしば素朴な作者信仰や硬直した実証主義への傾斜を示し、内的読解(多分「テクスト論」的読解のこと:同)への行き過ぎた没入がしばしば独善的なテクスト主義や無根拠な解釈の遊戯に流れてきたことは、すでに見てきた通りです。とすれば、私たちはまず、この二元論的構造そのものを脱臼させることから始めなければならないのではないでしょうか。
〈『文学の思考』(石井洋二郎著、東京大学出版会)202p〉という、それを。そして、その方法論としては、石井氏の言葉を借りれば、
外的読解と内的読解を自在に往復する、まなざしの運動である。
ということを石井氏は提起しているのだと私は理解した。
私なりに言い換えると、いくら「宮澤賢治の彼方へ」へ行こうとしても、賢治はこちらを常に見ているのではないだろうか。荒っぽく言えば、作者の賢治を死なせてしまっては、賢治作品を誤読してしまう虞がある場合もあるのではなかろうか。それは、例えば「和風は河谷いっぱいに吹く」の読解の仕方が劇的に変わってしまった私自身の経験から、そう言える。
では、再び外的読解も重視される、いや、軽視できない時代になったとなれば、今のままの賢治像(つまり創られた賢治像)でいいのかというともはやそうとはならないだろう。私たちは、少なくとも今の賢治像を一度リセットして、本統の賢治像を追究し、明らかにすべきではないだろうか。
繰り返しになるが、先に述べたように、私は賢治に関わる「真実」を知ってしまったが故に、それまでは感動していた作品がもはや感動しなくなったものがあったことから、外的読解をすることの必要性は今の時代でも一概には否定できないし、有意義な点もあるのだ、とちょっぴり確信した。ちなみに、石井氏に拠れば、2000年頃になるとフランスでは「異様なまでの伝記の流行」が起こったという(前掲書4p)ことだからなおさらにだ。
あるいは、テクスト論者の石原千秋氏も、
作品を読むとき、作者を無視していいと主張するわけではない。
〈『読者はどこにいるか』(石原千秋著、河出ブックス)〉
と言っているようだから、私はいま正直少しだけホッとしている。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
本書は、「仮説検証型研究」という手法によって、「羅須地人協会時代」を中心にして、この約10年間をかけて研究し続けてきたことをまとめたものである。そして本書出版の主な狙いは次の二つである。
1 創られた賢治ではなくて本統(本当)の賢治を、もうそろそろ私たちの手に取り戻すこと。
例えば、賢治は「ヒデリノトキニ涙ヲ流サナカッタ」し「寒サノ夏ニオロオロ歩ケナカッタ」ことを実証できた。だからこそ、賢治はそのようなことを悔い、「サウイフモノニワタシハナリタイ」と手帳に書いたのだと言える。
2 高瀬露に着せられた濡れ衣を少しでも晴らすこと。
賢治がいろいろと助けてもらった女性・高瀬露が、客観的な根拠もなしに〈悪女〉の濡れ衣を着せられているということを実証できた。そこで、その理不尽な実態を読者に知ってもらうこと(賢治もまたそれをひたすら願っているはずだ)によって露の濡れ衣を晴らし、尊厳を回復したい。
〈はじめに〉
………………………(省略)………………………………
〈おわりに〉
〈資料一〉 「羅須地人協会時代」の花巻の天候(稲作期間) 143
〈資料二〉 賢治に関連して新たにわかったこと 146
〈資料三〉 あまり世に知られていない証言等 152
《註》 159
《参考図書等》 168
《さくいん》 175
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