《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成27年10日5日撮影)
その後、平成29年8月10日付けの「宮沢賢治学会イーハトーブセンター定期大会の際の募金活動について(回答)」が宮沢賢治学会イーハトーブセンター代表理事から届いた。それが次のような文書であった。皆さんはどう感じられるだろうか。私はこの文書の書き方からひしひしと感じたことがある。それは、
代表理事はどちらかといえば、本会がこの度実践しようとしていた募金活動を実はさせたくないのではなかろうか。
ということをである。私からすれば、この度本会が計画したこの募金活動は誰が見ても誰も反対しそうにない、そうだ大いにやろうじゃないかと殆どの方が賛意を示すような「賢治精神」の具体的な実践であるはずだが、代表理事の回答文書の中にはその賛意を意味する文言は一言もない。
だけでなく、
募金を実施しようとする場合は……
という言い回しに、その心の内が透けて見えるからである。
ちなみに、本会が提出した文書は次のようなものである、
この文書から、私たちの会がこの度の募金に取り組もうとしている熱意と想いを代表理事は汲み取れないのだろうか。私たちは「賢治精神」を発揮して今年は先ずは大槌の子どもたちを是非支援したいと思っているが故に、前もって上掲の文書を早目の7月30日付で提出したというのに、
代表理事は賛意を示さないどころか、やりたい場合には改めて事業計画書を提出せよ。
と私たちの会に指示しているとしか私には読み取れないからだ。言い換えれば、
この回答文書からまず真っ先に私が思い知らされたことは、後に本会の会報にも載ったように、まさに、
・まったく応援も支援する気もない突き放したような回答であり、
・まったく後ろ向きな態度である。
ということだった。
そこで私の頭の中に直ぐ閃いたことは、おそらくこの人たちはそこに「行ッテ」いないのではなかろうかということだ。だから、6年前の惨状も、あれから6年経った今でもその復興がはかばかしくないことなど殆どイメージできないのだろう。まして思ったことさえもないのではなかろうかということだ(もしそうでなかったというのであれば、このブログにその旨のコメントを是非いただきたい)。そこに行きもせずに、遠くで「雨ニモマケズ」を唱っているだけのことに一体どれだけの価値があるというのだろうか。せめて行きたいとか、行っていないことに対する自責の念があれば、前述したような門前払いや後ろ向きな対応、そして突き放したような回答をするわけがない、と私は思うのだが……。
この件に関しては、この他にももっと言いたいことはあるのだが、それは次回へ。
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