《創られた賢治から愛すべき賢治に》
賢治と求道者高橋康彦氏が次のような冷静で客観的な賢治評を述べていた。
私には、持続性のない善意というのは、どうみてもまやかしであり、尊大さであり、人を食いものにするものとしか考えられない。瞬間的な善行は、かけがえのない同情ではあっても何の救済力にもなりはしない。点が線になって永続していく精神行為こそが求道なのであって、いたずらに求道者賢治と称することはかえって賢治をさげすむことになる。賢治を求道者と尊称することによって自らを賢治の精神行為から遠ざけることになる。われわれは賢治の肉声を聞かなければならない。
賢治が日常生活にとった種々の振る舞いは年譜的な表面だけを見ているうちはその多彩さに驚かされるが、さりとて天才と凡人の違いほどのへだたりは必ずしもないはずである。
<『宮澤賢治の世界』(高橋康彦著、第三文明社)67pより>賢治が日常生活にとった種々の振る舞いは年譜的な表面だけを見ているうちはその多彩さに驚かされるが、さりとて天才と凡人の違いほどのへだたりは必ずしもないはずである。
私はこのくだりを読んで安堵した。私は“不羈奔放な賢治だったからこそ”において、
私の管見故かもしれないが、晩年以外もそうだが、晩年の賢治が「誠実で、禁欲的で、求道的な人格者」であったという典拠を私はほとんど思いつかない。
とつい言ってしまった。が、正直それは私の独りよがりな見方かなと思っていたが、そうでもなさそうだということをこの高橋氏の見解を知って感じたからだ、実際、賢治の羅須地人協会の活動も、東北砕石工場嘱託もともに実質的には約7ヶ月間程に過ぎない。そしていずれも途中で撤退している。それにひきかえ、松田甚次郎は賢治精神を十数年間実践し続けた後斃れ、逝ってしまったのだし、石川理紀之助に至っては晩年まで貧しい農村を救うための実践を全うしている。したがって、この高橋氏の「瞬間的な善行は、かけがえのない同情ではあっても何の救済力にもなりはしない」という指摘は鋭いし、実は真っ当な見方であると私は改めて思った。
さらには、高橋氏の「いたずらに求道者賢治と称することはかえって賢治をさげすむことになる。賢治を求道者と尊称することによって自らを賢治の精神行為から遠ざけることになる。われわれは賢治の肉声を聞かなければならない。」という警鐘については、私からすれば首肯できるものである。同時に今のまま真っ直ぐ進んでいっていいのだと、私は安堵した。
もうそろそろ呪縛から解き放たれて、宮澤賢治を普通の感覚で見つめること、私たちの「常識」で賢治を一度見直してみることが今求められているのだ。そして、宮澤賢治に関することといえどもおかしいことはやはりおかしいと言える時代にならねばならない。
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