〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩選書)〉
さて、前回私はこう述べた。
そして実際その懼れのとおり、『校本全集第十四巻』の「新発見」や「判然としている」等が何をもたらしたかというと、「推定困難な」推定はそちこちで「断定」に変身して「事実」となって跋扈してしまい、濡れ衣の〈悪女・高瀬露〉が全国に流布してしまった、と言える。
そこで私は逆に、この『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)が出版された昭和52年当時、筑摩書房に何かがあったのではなかろうか、ということが頭をかすめた。そして、そういえばこの頃に、筑摩書房が倒産しかかったことがあったような気がする、という記憶が甦ったのだった。
そこで私は逆に、この『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)が出版された昭和52年当時、筑摩書房に何かがあったのではなかろうか、ということが頭をかすめた。そして、そういえばこの頃に、筑摩書房が倒産しかかったことがあったような気がする、という記憶が甦ったのだった。
そこで探してみると、『筑摩書房 それからの四十年』という本が見つかった。どうやら、そこには当時の筑摩書房のことが書かれてるらしい。早速手に入れて、ざっと目を通してみた。
すると、その85pに 「古田さんが倒産をみないでよかった」という項があり、
古田晁が亡くなって五年後に、筑摩書房は事実上倒産し、会社更生法適用を申請するのだが、臼井の追悼文を読むと、すでに一九七〇(昭和四五)年ごろから「終わり」は見えていたのだとわかる。
一九七八(昭和五三)年に筑摩書房が「倒産」したとき、「まず思ったのは、古田さんがこれを見ずに亡くなってよかった、ということだった」と何人もの関係者がいった。
〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩選書)85p~〉一九七八(昭和五三)年に筑摩書房が「倒産」したとき、「まず思ったのは、古田さんがこれを見ずに亡くなってよかった、ということだった」と何人もの関係者がいった。
ということが述べられていた。なるほど、やはりそうだったのか。ちょうど『校本宮澤賢治全集第十四巻』が編まれ、刊行された頃に、筑摩書房は実上倒産していたのか。そして、私は半ば腑に落ちたのだった。
なお、この古田とは筑摩書房の創業者で初代社長(昭和41年まで)の古田晁のことであり、臼井とは古田と中学時代からの友人であり、「筑摩」の名付け親でもある臼井吉見のことである。
続きへ。
前へ 。
〝矢幡氏の「高瀬露の不幸な恋愛」の目次〟へ。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
***************************『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版、定価(本体価格1,500円+税)の販売案内*************************
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,650円(本体価格1,500円+税150円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます