みちのくの山野草

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昭和53年筑摩書房「倒産」

2021-02-19 16:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩選書)〉

 さて、前回私はこう述べた
 そして実際その懼れのとおり、『校本全集第十四巻』の「新発見」や「判然としている」等が何をもたらしたかというと、「推定困難な」推定はそちこちで「断定」に変身して「事実」となって跋扈してしまい、濡れ衣の〈悪女・高瀬露〉が全国に流布してしまった、と言える。
 そこで私は逆に、この『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)が出版された昭和52年当時、筑摩書房に何かがあったのではなかろうか、ということが頭をかすめた。そして、そういえばこの頃に、筑摩書房が倒産しかかったことがあったような気がする、という記憶が甦ったのだった。

 そこで探してみると、『筑摩書房 それからの四十年』という本が見つかった。どうやら、そこには当時の筑摩書房のことが書かれてるらしい。早速手に入れて、ざっと目を通してみた。
 すると、その85pに 「古田さんが倒産をみないでよかった」という項があり、
 古田晁が亡くなって五年後に、筑摩書房は事実上倒産し、会社更生法適用を申請するのだが、臼井の追悼文を読むと、すでに一九七〇(昭和四五)年ごろから「終わり」は見えていたのだとわかる。
 一九七八(昭和五三)年に筑摩書房が「倒産」したとき、「まず思ったのは、古田さんがこれを見ずに亡くなってよかった、ということだった」と何人もの関係者がいった。
             〈『筑摩書房 それからの四十年』(永江朗著、筑摩選書)85p~〉
ということが述べられていた。なるほど、やはりそうだったのか。ちょうど『校本宮澤賢治全集第十四巻』が編まれ、刊行された頃に、筑摩書房は実上倒産していたのか。そして、私は半ば腑に落ちたのだった。
 なお、この古田とは筑摩書房の創業者で初代社長(昭和41年まで)の古田晁のことであり、臼井とは古田と中学時代からの友人であり、「筑摩」の名付け親でもある臼井吉見のことである。

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