Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―
二 未完に終わった上田哲の論文……45
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〝「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」の目次(改訂版)〟
〝渉猟「本当の賢治」(鈴木守の賢治関連主な著作)〟へ。
ところが、二〇〇七年に出版されたある本((五))では、
感情をむき出しにし、おせっかいと言えるほど積極的に賢治を求めた高瀬露について、賢治研究者や伝記作者たちは手きびしい言及を多く残している。失恋後は賢治の悪口を言って回ったひどい女、ひとり相撲の恋愛を認識できなかったバカ女、感情をあらわにし過ぎた異常者、勘違いおせっかい女……。
と、はたまた、二〇一〇年に出版された別の本((六))でも、
無邪気なまでに熱情が解放されていた。露は賢治がまだ床の中にいる早朝にもやってきた。夜分にも来た。一日に何度も来ることがあった。露の行動は今風にいえば、ややストーカー性を帯びてきたといってもよい。
というように典拠も明示せずに、人権が何よりも優先されるようになった昨今でも、何の躊躇いもなさそうに露をとんでもない〈悪女〉にしているという実態が相変わらずある。よって、〈高瀬露悪女伝説〉はやはり全国に流布したままであると言える。
またもちろん、先の清六の証言内容等と、それとは正反対とも言える、露の人格を貶め、尊厳を傷つけているとしか思えないようなこれらの記述との間には矛盾がある。よって、これらの典拠は一体何かということが問われるとともに、この実態にはかなりの問題が横たわっているということが示唆される。
そこで私は、関連する論考等を探し廻ったのだが、〈悪女・高瀬露〉(以降、「〈悪女〉にされた高瀬露」のことを意味する)に関して学究的に取り組んでいる賢治研究家の論考等はなかなか見つからなかった。そしてやっと見つかったのが、上田哲の「「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―」というタイトルの論文だった。彼は、新たな証言や客観的資料等を発掘してこの〈悪女・高瀬露〉を再検証してみたところそれは冤罪的伝説であったということが実証できたということで、一九九六年に『七尾論叢 第一一号』(七尾短期大学)上にそのことを発表したのが同論文である(この件に関しての嚆矢となったものであり、しかもほぼ唯一のものだ。現在に至っても、このことに関する他の研究者の本格的な論考等は見つからないからである)。
ただしどういうわけか、同論文は未完で終わっている。ちなみに、同論文の最後は「(この章未完)」となっている。そしてこの論文はその後完成されぬままに、上田は鬼籍に入られた。しかも、他の号は結構いくつかの図書館等で所蔵されているのだが、この『第一一号』だけはまず見つからない。したがって、現実的には同論文を読むことはなかなかできない。ところが、私は幸いにもある方からこの『第一一号』を譲っていただいた。そこで同論文を参考にさせて貰い、さらに新たな証言等を付け加えたりして、できれば上田の遺志を継ぎたいと願いながら、〈悪女・高瀬露〉の再検証をしてみたのが本論文である。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
【新刊案内】
そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))
であり、その目次は下掲のとおりである。
現在、岩手県内の書店で販売されております。
なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守 ☎ 0198-24-9813
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二 未完に終わった上田哲の論文ところが、二〇〇七年に出版されたある本((五))では、
感情をむき出しにし、おせっかいと言えるほど積極的に賢治を求めた高瀬露について、賢治研究者や伝記作者たちは手きびしい言及を多く残している。失恋後は賢治の悪口を言って回ったひどい女、ひとり相撲の恋愛を認識できなかったバカ女、感情をあらわにし過ぎた異常者、勘違いおせっかい女……。
と、はたまた、二〇一〇年に出版された別の本((六))でも、
無邪気なまでに熱情が解放されていた。露は賢治がまだ床の中にいる早朝にもやってきた。夜分にも来た。一日に何度も来ることがあった。露の行動は今風にいえば、ややストーカー性を帯びてきたといってもよい。
というように典拠も明示せずに、人権が何よりも優先されるようになった昨今でも、何の躊躇いもなさそうに露をとんでもない〈悪女〉にしているという実態が相変わらずある。よって、〈高瀬露悪女伝説〉はやはり全国に流布したままであると言える。
またもちろん、先の清六の証言内容等と、それとは正反対とも言える、露の人格を貶め、尊厳を傷つけているとしか思えないようなこれらの記述との間には矛盾がある。よって、これらの典拠は一体何かということが問われるとともに、この実態にはかなりの問題が横たわっているということが示唆される。
そこで私は、関連する論考等を探し廻ったのだが、〈悪女・高瀬露〉(以降、「〈悪女〉にされた高瀬露」のことを意味する)に関して学究的に取り組んでいる賢治研究家の論考等はなかなか見つからなかった。そしてやっと見つかったのが、上田哲の「「宮沢賢治伝」の再検証㈡―〈悪女〉にされた高瀬露―」というタイトルの論文だった。彼は、新たな証言や客観的資料等を発掘してこの〈悪女・高瀬露〉を再検証してみたところそれは冤罪的伝説であったということが実証できたということで、一九九六年に『七尾論叢 第一一号』(七尾短期大学)上にそのことを発表したのが同論文である(この件に関しての嚆矢となったものであり、しかもほぼ唯一のものだ。現在に至っても、このことに関する他の研究者の本格的な論考等は見つからないからである)。
ただしどういうわけか、同論文は未完で終わっている。ちなみに、同論文の最後は「(この章未完)」となっている。そしてこの論文はその後完成されぬままに、上田は鬼籍に入られた。しかも、他の号は結構いくつかの図書館等で所蔵されているのだが、この『第一一号』だけはまず見つからない。したがって、現実的には同論文を読むことはなかなかできない。ところが、私は幸いにもある方からこの『第一一号』を譲っていただいた。そこで同論文を参考にさせて貰い、さらに新たな証言等を付け加えたりして、できれば上田の遺志を継ぎたいと願いながら、〈悪女・高瀬露〉の再検証をしてみたのが本論文である。
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。
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そのようなことも訴えたいと願って著したのが『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))
であり、その目次は下掲のとおりである。
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なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
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