みちのくの山野草

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2 「仮説♣」の定立

2024-08-13 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《羅須地人協会跡地からの眺め》(平成25年2月1日、下根子桜)

2 「仮説♣」の定立
 これで、澤里も柳原もともに信頼に足る人物だということを私は確信した。したがって二人とも賢治に関することをわざわざ偽るような人間とは思えない。
 
 二人の証言と「現定説❎」
 さて、賢治の最愛の教え子の一人、澤里武治の次の証言、
○……昭和二年十一月ころだったと思います。…(略)…その十一月びしょびしょみぞれの降る寒い日でした。
 「澤里君、セロを持って上京して来る、今度はおれもしんけんだ、少なくとも三か月は滞在する、とにかくおれはやる、君もヴァイオリンを勉強していてくれ」そういってセロを持ち単身上京なさいました。そのとき花巻駅でお見送りしたのは私一人でした。
 ……………○随<『賢治随聞』(関登久也著、角川選書)215p~より>
があり、もう一人の最愛の教え子柳原昌悦の次の証言、
 一般には澤里一人ということになっているが、あのときは俺も澤里と一緒に賢治を見送ったのです。何にも書かれていていないことだけれども。……………○柳
がある。
 一方で、このことに関する「現定説」はもちろん『新校本年譜』の大正15年12月2日の蘭にあるように、
 セロを持ち上京するため花巻駅へゆく。みぞれの降る寒い日で、教え子の高橋(のち澤里と改姓)武治がひとり見 送る。……………❎<『新校本年譜』(筑摩書房)325pより>
ということになっている。

 となると、矛盾を抱えたように見えるので、これらの三つの「○随」「○柳」「現定説❎」の関係はどのように解釈すればいいのだろうか。このことに関して私は次のように解釈している。
 そのためにまず確認しておきたいことは、
   ◇澤里も柳原もともに信頼に足る人物だと確信できるから、二人とも賢治に関することをわざわざ偽るような人間とは思えない。
ということである。したがって、「○随」も「○柳」もともに事実を正直に語っていると判断できる。
 すると「○柳」から、あの日に澤里と柳原は一緒に上京する賢治を見送った、ということが導ける。そして柳原が言うところの「あの日」とは「現定説❎」の日付「大正15年12月2日」に他ならない。
 したがって、
   ◇大正15年12月2日、澤里と柳原は上京する賢治を一緒に見送った。           ……………①
ということになるが、これは歴史的事実と考えられる。一方「○随」より、
   ◇昭和2年11月頃の霙の降るある日、上京する賢治を澤里はひとり見送った。      ……………②
も同様に歴史的事実と考えられる。もちろんこう解釈すれば、澤里の証言と柳原の証言の間に何ら矛盾は生じないし、この解釈はかなり素直な解釈でもある。
 ところがこう解釈すると、「現定説❎」との間には矛盾が起こるではないかと指摘する人があるかもしれないが、それはない。ここで誤解してならないことは、何も澤里は霙の降る大正15年12月2日に賢治をひとり見送ったと証言している訳ではないからである。また澤里は大正15年12月2日に賢治を見送っていない、とももちろん言っていなのである。したがって、ここは柳原の言うとおりであるとして一向に構わず、何ら矛盾は生じないことになる。
 一方では、『新校本年譜』は「理由」も根拠も明示せずに「現定説❎」の日にちを、
 ただし、「昭和二年十一月ころ」とされている年次を大正一五年のことと改めることになっている
と宣言している。だから矛盾の根元はそこにあると私は言わざるを得ないし、「宮澤賢治年譜」担当者におかれましては是非ともその「理由」等を我々読者に対して明示して欲しかったし、これからでもいいからそうして欲しいものである。

 「仮説♣」定立
 がしかし、その「理由」等を現時点では知る術もない私とすれば、その宣言の妥当性も理解できないがゆえに、①と②はともに事実のはずであり、まずは
   宮澤賢治は昭和2年の11月頃に上京した。
と結論せざるを得ないのである。
 そこで、私は澤里の証言「○随」等に基づいて次のような仮説、
 賢治は昭和2年11月頃の霙の降る日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京、3ヶ月弱滞京してチェロを猛勉強したがその結果病気となり、昭和3年1月に帰花した………………♣
を定立したい。

 そして、今後はこの「仮説♣」の検証をしばし試みたい。

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 ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。
 おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
 一方で、私は自分の研究結果には多少自信がないわけでもない。それは、石井洋二郎氏が鳴らす、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という警鐘、つまり研究の基本を常に心掛けているつもりだからである。そしてまたそれは自恃ともなっている。
 そして実際、従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと言われそうな私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、なおさらにである。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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