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2 年譜から消えてゆく

2021-04-08 16:00:00 | 賢治昭和二年の上京

2 年譜から消えてゆく
 さて、かつての殆どの「宮澤賢治年譜」にはあったのにいつの間にか消えてしまったものがある。
 そこでこのことに関しての思考実験を以下に試みる。

 準備 かつての「通説」
 まずそのための準備である。かつての「宮澤賢治年譜」には、
    (ア) 昭和2年
    九月、上京、詩「自動車群夜となる」を創作す。
    (イ) 昭和3年
    1月 この頃より、過勞と自炊に依る栄養不足にて漸次身體衰弱す。
というものがあった。これらは当時のいわば「通説」と言える。
 もちろん、もし(ア)や(イ)がその後に事実でないということが判ったというのであれば、消してしまうという措置は当然のことである。例えば、これらに対する反例がそれぞれ見つかったということなどがあったとしたのならば、である。しかし、そのようなものが見つかったなどということは公的には一切知らされていないはずである。とすれば考えられることは次の、
 ・実は反例があるのだがそれは公にできない。
 ・反例などないが不都合な真実だから抹消してしまいたい。
の二つの場合である。しかもいずれの場合にしても、「不都合な真実」であるから覆い隠してしまいたかったということに結局なりそうだ。

 準備 羅須地人協会の評価
 それにしても、羅須地人協会は私にとってはあまりにもわかっていないことが多すぎる。羅須地人協会の総体をどう評価すればいいのか、私は皆目見当がつかないままにいる。
 では一般にはそれはどのように評価されているのだろうか。例えば、佐藤通雅氏は『宮沢賢治から<宮沢賢治>へ』(學藝書林)の中の章「亀裂する祝祭 羅須地人協会論」において次のように見ていると、私には読み取れる。
 羅須地人協会に関しての評価は正反対に分裂している。一つは賢治がこの地上において試みようとした理想郷、その思想は時代を超えた秀抜さがあるとする考えである。もう一つは逆に時代条件を考慮に入れぬ極めて脆弱な試行であって、文学の達成と関わりのない愚行だとする考えである。そして、前者の考えを代表するのが谷川徹三で、その理想世界を高く評価した。
と。
 たしかに佐藤氏の紹介するとおり、賢治の羅須地人協会に対しては関して極めて高く評価している人達も多いと思う。

 準備完了
 では、以前に述べたことと今述べたこととを併せて次の6つのことを確認しておきたい。
(a) かつての「通説」として「賢治年譜」の中に(ア)と(イ)があった。
(b) 昭和32年頃を境として、以後(ア)と(イ)が「賢治年譜」から消えていった。 
(c) 大正15年12月2日の上京の典拠を『宮澤賢治物語』等にある澤里証言とすれば「現通説」は自己撞着に陥ってしまう。
(d) 賢治の羅須地人協会に関しては極めて高く評価している 人達も多い。
(e)『宮澤賢治物語』の中で澤里は、「先生は三か月間のそういうはげしい、はげしい勉強で、とうとう病気になられ帰郷なさいました」と証言している。
(f) 新聞連載の『宮澤賢治物語』が単行本となった際に、「宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年には先生は上京しておりません」の部分が著者以外の何者かによって「宮沢賢治年譜を見ると、昭和二年に上京して花巻にはおりません」と改竄された。
これで実験の準備は完了した。

 思考実験(年譜からの削除)
 では本番の思考実験を開始したい。
 かつて「通説」として(ア)と(イ)があった(=(a))のに、どうして昭和32年頃を境として、以後(ア)と(イ)が「賢治年譜」から消滅していった(=(b))のか。
 それは先の「実験準備」でも示したように、その頃からそれらは当時の賢治像としては「不都合な真実」だから消し去ってしまいたいという流れが作られていったので、その流れに従わざるを得なかったからである。
 実際、谷川徹三を始めとした「羅須地人協会に」対する当時の高い評価(=(d))からすれば、その「羅須地人協会時代」2年4ヶ月余の中に空白と見なされそうな約3ヶ月があり、しかも、その間の無理なチェロの練習がたたって病気になって花巻に戻った昭和3年1月の賢治が「漸次身體衰弱」状態であった(≒(e))ことに繋がる(ア)と(イ)が「賢治年譜」に明記されてあるのはまずいので不都合だと、当時ある有力な人物X氏は考えた。
 そこで、X氏はこのような情報操作(=(b))を実際に行った。併せて、この「(ア)と(イ)」と密接に関連する(c)の『宮澤賢治物語』における澤里証言がそのまま巷間広まることを避けねばならぬと思い詰めたX氏は『宮澤賢治物語』を改竄をした(=(f))。 (思考実験終了)
 なお、以上はあくまでも単なる実験である。

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