みちのくの山野草

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検証用資料としては使えない〝一連の「書簡下書」〟

2019-06-15 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
〈「白花露草」(平成28年8月24日撮影、下根子桜)

検証用資料としては使えない〝一連の「書簡下書」〟
鈴木 では次に行こうか。
 私は、
 その他の点でも私はどうも買ひ被られてゐます。品行の点でも自分一人だと思ってゐたときはいろいろな事がありました。慶吾さんにきいてごらんなさい。それがいま女の人から手紙さえ貰ひたくないといふのはたゞたゞ父母への遠慮です。
という賢治の発言部分にも看過できない問題点があるということを言いたい。この部分からは、賢治が下根子桜にいた当時のことについて、
 私(賢治)には品行上でいろいろな事があった。それも女性問題でもだ。私は買い被られているだけで、それが疑問だと思うならば慶吾はそのいろいろな事を知っているから訊いてみるといい。いまは、女性問題のことでもう両親を苦しませたくないのです。
と相手に対して打ち明けていると読み取れる。ということであれば、この時の書簡の相手とは露でない女性であろうと考えられる。なぜなら、その頃の出来事についてはしばしば賢治の所に出入りしていた露なのだからかなりの程度のことは知っていただろうし、露と慶吾は以前から懇意だったのだから、慶吾からある程度のことを露は聞き知っていたと考えた方が自然だと思えるからだ。
 また一方で、当時下根子桜に出入りしていた女性としては露以外にもいるという関登久也の証言「協会を訪れる人の中には、何人かの女性もあり(註九)」や、賢治の教え子の簡 悟の似たような内容の証言(註十)もあるからだ。
 そうすると、そのような露に対して、このような状況下にあったとも考えられる賢治がこのような手紙を書こうなどとすることはあまり考えられず、その相手は少なくとも露以外の女性だと考える方が妥当だろう。
吉田 僕は、この〔改訂 252c〕については時期的な点での疑問もある。それは、次の
 あなたが根子へ二度目においでになったとき私が『もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、』と申しあげたのが重々私の無考でした。…(略)…今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。
におけるものだ。
 すると、例えば、この中の「あなたが根子へ二度目においでになったとき」とは、もしこれが露宛のものだとすれば、露が二度目に下根子桜を訪れた時期は大正15年のことであることはほぼ間違いない。ところが賢治はよりによってその頃の出来事を、それから3年以上も経った昭和4年末にまたぞろほっくり返したということになるからだ。
鈴木 そうだよな。「今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになった」の部分に注目すれば、下根子桜に出入りしていた露がその頃に「三べんも」寄越したことになる写真の話を、同じような長期間を経てこれまた昭和4年末になって再び持ち出して、この期に及んで「あゝいふことは絶対なすってはいけません」というように手紙で賢治が諭したということになるのだが、そんな間延びしたことが果たしてあり得るか?
吉田 下根子桜であれだけ世話になった露に対して、かなり時間が経ってしまった昭和4年末になってから弁解がましく言い訳をし、しかも最後にしれっとして、「あゝいふことは絶対なすってはいけません」というようなお為ごかしみたいなことなどは、僕には絶対言えん。
荒木 そう言われてみると、時期的、時間的な無理があるということがよぐわがった。だからそんな無理な解釈、つまり〔252c〕は露宛のものだというよりは、少なくとも露を除いた女性であると解釈した方がはるかに説得力があるべ。
鈴木 とすれば、我々三人の結論は、〔252c〕の相手の女性は露以外の女性である可能性が大である。また、〝一連の「露宛書簡下書」〟はいずれもこの〔252c〕を元にして、さらに推定されたものであるから、「新発見」と言うところの〔252c〕を含む〝一連の「書簡下書」〟の宛先は露以外の女性である可能性が大である、ということでいいよな。
吉田 ということだ。
荒木 それからいま俺は思ったのだが、さっき吉田が取り上げた部分と一部重複するけど、「あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)…(略)…その前後に申しあげた話をお考へください」の部分は、他にも問題を孕んでいる。
 例えば、もしこの内容が事実だったとすれば、この女性が下根子桜に来た2回目で賢治は早くも「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども」ということを軽はずみに言ってしまったことになるからだ。
吉田 だから、この賢治の発言がもし事実であったとしたならばそれは取り返しのつかない一言となっただろうな。そしてその続きの弁解の仕方だって言い方がきついが、「さもしい」と言えなくもない。
荒木 確かにそれはきついな。とはいえ、だからこそ思うのだ、もしかするとこの〔252c〕はやっぱり賢治が書いたものではないと、偽造だとまではもう言わないけれども。
 だってさ、さっき俺は「露にとっては分が悪いところが少なくない」と言ったけど、もしこれが正真正銘賢治が書いたものだとすれば、それどころか遙かに賢治の方が分が悪いことになるだろう。
吉田 これはまずい。僕もいつの間にか荒木の考えがもしかするとあり得るかなと思い始めている。いやいや、…でもそれはないな。この時賢治が下書に書いた内容は事実だったのだ。だからこそ賢治は父政次郎から厳しい叱責を受けたのだと、こう考えれば辻褄が合う。
荒木 う……よっしゃ。もはや事ここに至ってしまっては俺も腹を括るしかない。俺が、賢治が書いたものではないかもしれないなどとつい妄想してしまうのは、俺が抱いている賢治像を基にして考えているからだ。これからは、このような分の悪いこともあるのが賢治だと思えばいいのだ。うん。
鈴木 どうやらこうしてみると、〔252c〕にはあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎるから、現時点では賢治の伝記研究上では資料たり得ない。これに対応する露からの賢治宛書簡等の客観的な資料が見つかったりしたならばその時には資料になり得るかもしれないが。
荒木 だから俺たちの現時点での結論はこうだ、
〔252c〕を含む〝一連の「書簡下書」〟にはあまりにもいろいろな問題点や疑問点が多すぎて、その内容が信頼性を欠いているので今回の検証における資料としては使えない。
吉田 裏返せば、〔252c〕は「内容的に高瀬あてであることが判然としている」といくら言われても、どうして判然としているのかが一般読者にとっては全く判然としない、と結論せざるを得ないといううことだ。
鈴木 それでは、これで〝一連の「書簡下書」〟についての検討はほぼ終えたのでまとめに入ろうか。
吉田 いや一言だけ、それは従前の「不6」、つまり〝252c下書(十六)〟についてだ。その中に
 なぜならさういふことは顔へ縞ができても変り脚が片方になっても変り厭きても変りもっと面白いこと美しいことができても変りそれから死ねばできなくなり牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなるです(ママ)。大いにしっかり運命をご開柘(ママ)なさいまし。
            <『新校本全集第十五巻 書簡校異篇』(筑摩書房)146pより>
という箇所があるが、賢治が「牢へ入ればできなくなり病気でも出来なくなり、ははは、世間の手前でもできなくなる」等ということを普通言うか? 「…ははは、…」と。
鈴木 そうなんだよな、私も気になっていたところだ。後でまた話題にせねばならぬところだが、まるで昭和7年の中舘武左衛門宛書簡下書〔422a〕中の猛烈な皮肉「呵々。妄言多謝」を彷彿とさせる。まさかこんな言い方を賢治がするとはな。

(註九) 『宮澤賢治物語』の中の「羅須地人協会時代」の中に、
 協会を訪れる人の中には、何人かの女性もあり、そのうちの一人が賢治をしたっておったようです。最初は賢治も「なかなかしっかりした人だ」とほめておりましたが、その女性が熱意をこめて来るので、少し困ったようです。そこで「本日不在」という貼り紙をはっておいたり、又は別の部屋にかくれて、なるべく会わないようにしていたのですが、そうすればするほど、いよいよ拍車をかけてくるのが人の情で、しまいにはさすがの賢治も怒ってしまい、その女性に、少し辛くあたったようです。
             <『宮澤賢治物語』(関登久也著、岩手日報社、昭和32年)89pより>
とある。
(註十) 『宮澤賢治物語』の中に、賢治の教え子の簡 悟の次のような証言もある。
 森さんは宮沢賢治をめぐる三人の女性を書いておられるが、実際は、五人の女性があります。二人の女性については、すでに話題になっておりますが、あとの二人は現存してる人達だし、何も徳義に欠けた行動をとつた人達ではないから申し上げてもいいようなものの、お話しする機会もそのうちあると思います。先生はその時も、私は遠からず結婚するかもしれぬと申されましたが、それはついに実現しませんでした。
             <『宮澤賢治物語』(関登久也著、岩手日報社)275pより>
 なお、ここでいう「三人の女性」とは妹トシ、露、ちゑのことであり、「二人の女性について」とは露とちゑについてであることが同書からわかるので、「あとの二人」とはこれらの「三人の女性」以外の人であるということになる。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月231日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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