コーヒーブレイク
賢治と佐伯郁郎のつながり
『賢治研究117号』(2012,04、宮沢賢治研究会)に佐伯郁郎の「母木君への私信」というタイトルの随想の一部が載っていた。もともとは昭和7年6月24日付『岩手毎日新聞』に載ったものだという。それは次のようにして始まっていた。
◇『岩手詩集』第一輯有難ふ。森惣君から今日送つていたゞきました。大変でしたね、これだけの仕事をやつて邁けるといふことは並大抵 . . . 本文を読む
前回、『土田杏村全集 ⅩⅣ』の中に「我国に於ける自由大学運動に就いて」というタイトルの随筆があるということを述べたが、今回はそれについて少し触れてみたい。
信濃自由大学の設立
それは以下のようにして始まるものであった。
一
この運動は、やつとその緒口についた許りで、実績としては何一つ報告すべきものを持つてゐません。私はせめてその成績を一年だけでも挙げて見て、その上で社会に報告しようと . . . 本文を読む
「自由大学運動」
さて、これで少しだけ土田杏村のことがわかった。特に、宮澤賢治にも優るとも劣らないと思われそうな土田の博覧強記ぶりは群を抜いているということを知った。まさしく土田杏村は〝知の巨人〟であったのだろう。が、かといって彼は知識だけが豊富な単なる評論家に過ぎなかったのかというとそうでもないようだ。というのは、渋谷定輔が次のように
土田杏村は、文明批評家としての総合的見地から、文化学の大 . . . 本文を読む
前回少し前触れをしたが、この『土田杏村全集』の十五巻には「室伏高信の風貌」というタイトルの随筆が載っている。それは以下のようなものであった。
一大学生との対話。
「あなたは室伏さんを御承知なんですか」
「知ってる。偶然空間的距離がこれを面識にまで齎した」
「その言ひ草はもう古いですよ」
「ところで室伏さんの大学無用論をもうお読みでしたか」
「読んだよ。大学無用論なら君達の方がさしせま . . . 本文を読む
『土田杏村全集』概観
さて、土田杏村の死後ただちに刊行された『土田杏村全集』(第一書房)ということだが、土田が永眠したのは昭和9年4月25日であり、全集の各巻が発行された日はそれぞれ下記の通りである。第1巻 人生と哲学(昭和10年3月15日)
第2巻 社会哲学及び文化哲学(昭和11年1月15日)
第3巻 現代思想批判(昭和10年11月15日)
第4巻 思想研究(昭和10年7月15日)
第5巻 . . . 本文を読む
『野良に叫ぶ』出版の経緯
ところで、小作農家の一青年の詩集が大正15年の7月に平凡社からどうして出版できたのだろうか。その訳を知りたくて幾つかの本を調べていたならば、詩集『野良に叫ぶ』の出版の経緯等に関して渋谷定輔自身が『大地に刻む』の中で次のように語っていることを知った。
私の詩の原稿を発見して世に出してくれた人は土田杏村です。
と。
そして私は「あれっ!」と思った。土田杏村?ってどこか . . . 本文を読む
渋谷定輔の叫び
また松永伍一は、同じく「農民詩史における『野良に叫ぶ』の位置という」論考の中で次のようなことも論じている。
そこには第一次世界大戦後の経済不況による大量の首切りがあり、大争議へと発展してゆく工場労働者たちの死活の世界と農村の権力集中による争議の世界とが背景にあって、そこでかれらはみずからの争点の場を詩に求めようとする苦々しい誇りのようなものを感じていたようである。そういう自尊に . . . 本文を読む
農民詩史における賢治の位置
松永伍一は「農民詩史における『野良に叫ぶ』の位置という」論考の中で、次のようなことを述べている。
渋谷定輔の出現は日本の農民詩を始発の地点に立たせた画期的な事件であり、農民自身の手で書きとめられたその詩群は、出来不出来のいかんにかかわらず被圧迫階級の生活の内部から引き出され、詩壇にわだかまるさまざまの作法とかかわりなく存在し得たためにかえって既成詩人たちに強い刺激を . . . 本文を読む
賢治と〝「農民詩」人〟渋谷定輔
前回、佐伯郁郎の考え方に基づけば賢治の詩は「農民詩」たりうると思うということを私は述べた。もちろん賢治を〝「農民詩」人〟と呼ぶ人は余りいないと思うが、私は少なくとも下根子桜時代の賢治が書いていた詩の中には実に「農民詩」そのものであったものが少なくないと思うのである。なぜなら、佐伯郁郎が主張するところの「農民文芸の意義について」の一つの面
一、田野の生活が如何な . . . 本文を読む
では今回は農民文芸の中の一分野である「農民詩」について少し調べてみたい。
佐伯郁郎の「農民詩講話」より
まずは前回同様『家の光(昭和三年四月号)』から。その中に掲載されている佐伯郁郎の「農民詩講話」を少し見てみたい。そこでは次のようなことが論じられている。
農民文学とは如何なるものであるかといふうことになる。…(略)…私には農民文学は、どこまでも簡単に云つて、不断に進展しつゝある農民の生活 . . . 本文を読む
では今回は、農民文芸運動における農民劇に関して少し調べたみたい。
『佐伯郁郎と昭和初期の詩人たち』より
まずは、前回も登場してきている佐伯郁郎関連でアプローチしたい。佐伯研二編の『佐伯郁郎と昭和初期の詩人たち』の中で次のようなことが述べられている。
佐伯の「農民文芸会」に於ける実質的な活動期間は、大正十四年から昭和三年六月までの間である。この間、機関誌『農民』『地上楽園』『女性文化』『家の . . . 本文を読む
『農民文芸十六講』
ここでは『農民文芸十六講』について少し調べてみたい。
会の名称変更
ただしその前に、前回
「農民文芸研究会」はいつからか「農民文芸会」という名称となっていった。
ということであったが、その時期等がわかったのでそのことについて触れておきたい。『現代文学の底流』の中で南雲氏が次のように述べていた。
その後この農民文学研究会は、佐伯郁郎・中山議秀(のちの中山義秀)、和田傳・ . . . 本文を読む
さて、再び安藤義道著『犬田卯の思想と文学』に戻って「農民文芸運動」について少しく考えてみたい。
農民文学運動の成立
同書では、「民衆芸術」運動の中の文学分野の運動の一つ「農民文学運動」の成立に関して次のように述べている。
わが国の農民文学運動に直接的な役割を担ったのは一九二二年(大正一一年)の「シャルル・ルイ・フィリップの十三周忌記念講演会」であったと犬田卯は『日本農民文学史』に記してい . . . 本文を読む
民衆美術運動
それでは今回は、美術分野における「民衆芸術」の運動を小松隆二氏の『大正自由人物語』を通じて見てみたい。
1.〝民衆芸術〟の胎動
例えば同書には次のようなことなどが論じられている。
4 大正デモクラシーと一九一六年
民衆化の足跡
あらゆる社会思想、社会運動が開花する大正期――その中で、これまであまり注目されていないが、一つの飛躍を見せる重要な意味を持つのが一九一六(大 . . . 本文を読む
農民文芸運動発生以前
では再び安藤義道著『犬田卯の思想と文学』に戻って、今回は同書の中の「一 農民文芸運動発生以前の文学界の動き」を見てみたい。そこには次のようなことなどが述べられていた。
大逆事件(一九一〇年、明治四十三年)後、文化・社会の暗黒体制を打破したのは、いうまでもなく東京帝大の教授で政治学者吉野作造の「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」(『中央公論』一九一六・一)に端を . . . 本文を読む