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みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

2746 賢治、家の光、犬田の相似性(#16)

2012-07-03 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 さて、前回は「日本近代農民文学史年表」(小田切秀雄・南雲道雄)の中から犬田卯のものや関連するもの等を拾い出して列挙してみたならば、それは下表のようなものとなった。  なお、この表の中で   緑字:犬田卯の著述   青字:宮澤賢治の著述   赤字:『家の光』の掲載分 である。 賢治も時代の中で生きていた  こうやって、この表を俯瞰してみると幾つかのことが見えてくる。  例えば、 ・まず、〝ぴちゅ . . . 本文を読む
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2744 賢治、家の光、犬田の相似性(#15)

2012-07-02 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 『日本農民文学史』(小田切秀雄編、犬田卯著、農文協)には、「日本近代農民文学史年表」(小田切秀雄・南雲道雄)が載っており、関連する作品の一覧がそこには記載されていた。  そこで、その中から犬田卯のものや関連するもの等を拾い出して列挙してみた。  続きの  ”賢治、家の光、犬田の相似性(#16)”へ移る。  前の  ”賢治、家の光、犬田の相似性(#14)”に戻る。  ”みちのくの山野草”のト . . . 本文を読む
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2742 賢治、家の光、犬田の相似性(#14)

2012-07-01 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
賢治は『土に生まれて』を読んでいた?  以前私は   賢治、家の光、犬田には相似性がある。 と主張した。この主張に基づけば   大正15年11月22日頃~昭和2年4月頃の賢治と犬田卯はかなり似ている点が多かった。 ということになる訳だが、一方で前述の事柄から  ①は犬田卯と賢治の抜きがたい大きな違いであり、②に関しては二人のそれぞれの構図は似ていても中身に決定な違いがある。 と私には思えるのである . . . 本文を読む
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2736 賢治、家の光、犬田の相似性(#13)

2012-06-27 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
『土に生まれて』の出版年月日?  さて犬田卯の『土に生まれて』の出版時期がどうなっているかだが、以前報告したように、   ・『土に生まれて』(大正8年、(平凡社大正15年発行)) とあることから、おそらく執筆完了が大正8年、出版年は大正15年ということだろう。しかし問題は、出版日があの『面会謝絶事件』の起こった大正15年7月25日の前か後かである。ところが、いろいろな方法で調べてみても同書は大正1 . . . 本文を読む
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2731 賢治、家の光、犬田の相似性(#12)

2012-06-24 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
犬田卯と賢治の違い  振り返ってみれば、ここまでは賢治と犬田卯との間には類似した点が多い、つまり相似性があるという観点からばかり論を進めてきたが、ここでは逆に明らかに犬田が根本的に賢治とは異なる点の一つを話題にしたい。というのは『愛といのちと』からはそれを知ることができるからである。そしてこのことを知れば、さらに賢治と犬田卯の関係が鮮明に浮かび上がってきそうな気がしてくるからでもある。  例えば、 . . . 本文を読む
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2729 賢治、家の光、犬田の相似性(#11)

2012-06-23 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 前回の〝賢治、家の光、犬田の相似性(#10)〟では、犬田卯のとりあえずの【略年譜】をこしらえてみたのである程度の犬田卯のイメージは掴めた。 『愛といのちと』より  そこで、今回は予告通り『犬田卯の思想と文学』(安藤義道著、筑波書林)を少し丁寧に見てみようと思ったのだったが、たまたま最近『愛といのちと』(犬田卯、住井すゑ著、新潮文庫)を入手できたので少しだけまた寄り道をしたい。そこにはこの【略年譜 . . . 本文を読む
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2715 賢治、家の光、犬田の相似性(#10)

2012-06-17 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 今回からは『犬田卯の思想と文学』(安藤義道著、筑波書林)を見ていこうと思っていたのだが、その前に犬田卯の全体像を掴んでおきたいとも思っていた。たまたま、『住井すゑとその文学の里(五十四)-牛久沼のほとり-』(牛久市文化財保護審議委員 栗原功)に犬田の略年譜があることを知ったので、これと『犬田卯の思想と文学』及び『日本農民文学史』を基にして犬田の〝とりあえず〟の年譜を作ってみたい。 【(とりあえず . . . 本文を読む
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2711 賢治、家の光、犬田の相似性(#9)

2012-06-15 08:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 さて、前回私は「羅須地人協会活動」について 「羅須地人協会活動」:宮澤賢治は大正15年11月22日頃~昭和2年4月頃に下根子桜の宮澤家別宅で次のような活動をした。それは、花巻在住の青年等約30名と共に新たな農村文化の創造を目指したものであり、その趣旨は当時悪弊と見られていた都会文化に対抗して農民の一大復興運動を起こすことであり、原始人の自然生活に立ち返って田園生活を愉快に過ごせるようになろうとい . . . 本文を読む
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2709 賢治、家の光、犬田の相似性(#8)

2012-06-14 08:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
13.「羅須地人協会活動」とは  では前回列挙した「羅須地人協会活動」のリスト、すなわち羅須地人協会で賢治が行っていたことや行おうと思っていたこと等を以下に再掲し、これらを元にして少しく考察してみたい。ただし、その準備のために「羅須地人協会」の部分は赤色の「羅須地人協会」にしてある。 (1)「羅須地人協会活動」のリスト(再掲) ・賢治は大正15年8月23日を羅須地人協会の設立の時と考えていた。… . . . 本文を読む
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2707 賢治、家の光、犬田の相似性(#7)

2012-06-13 08:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 知ろうとすればするほど私から遠ざかってゆくものの代表が『羅須地人協会』である。一方でいま、私が少しく考えてみたいと思っているのが〝賢治、家の光、犬田の相似性〟であるが、これは賢治のいつの時代におけるものかというとまさしく『羅須地人協会時代』である。 11.『羅須地人協会』等の定義  そこで、『羅須地人協会』等について一般にはどのように定義されているかを次の二つの辞典から引用させて貰う。 (1)『 . . . 本文を読む
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2696 賢治、家の光、犬田の相似性(#6)

2012-06-06 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
10.面会謝絶の別な理由の可能性  実はなぜ私が〝賢治と犬田の相似性〟について考えているのかというと、それは例の〝面会謝絶〟事件はついついいままでは白鳥省吾に対する謝絶だったとばかり思っていたが、もしかするとそれは犬田卯に対する謝絶という可能性や側面の方があったのではなかろうかとこの頃思うようになってきているからである。  賢治はあのとき千葉恭に 『實は明日詩人の白鳥省吾と犬田卯の二人が訪ねて來る . . . 本文を読む
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2694 賢治、家の光、犬田の相似性(#5)

2012-06-05 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
【1↑『家の光 創刊号』表紙】7.創刊期の『家の光』の中身  では、犬田卯等の『家の光』への寄稿記事は具体的にはどのような内容のものだったのだろうかを知るために、当時の、すなわち創刊期の雑誌『家の光』そのもで少し調べたみたい。  そこで、不二出版が出版している『家の光〔復刻版〕』(T14年~S3年)でそれを知ろうと思った。  同出版社は『家の光』について以下のように紹介している。 本誌は、現在のJ . . . 本文を読む
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2686 賢治、家の光、犬田の相似性(#4)

2012-06-01 09:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 〝賢治、家の光、犬田の相似性(#3)〟の続きである。 5.『昭和戦前・戦中期の農村生活』より  たしか『家の光』には、犬田卯の記事も結構載っていたはずだ。私は頭の隅で記憶の糸を辿り始めていた。それは、以前読んだことのある本、たしか板垣邦子氏の『昭和戦前・戦中期の農村生活』に書いてあったような気がしたので、本棚から同書を取り出してみた。  そこには、大正14年~昭和3年頃の『家の光』に関して次の . . . 本文を読む
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2680 賢治、家の光、犬田の相似性(#3)

2012-05-30 08:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
 〝賢治、家の光、犬田の相似性(#2)〟の続きである。 4.農村雑誌『家の光』  ところで、なぜ私の頭の中でドミノ倒しが起こったのだろうか?  振り返ってみれば、一つは井上寿一の『戦前昭和の社会』が関わっていたのかなと思われる。  同書には    1 立ち上がる農民――雑誌『家の光』 という節があり、そこには、次のようなことなことなどが述べられている。 農村雑誌『家の光』  農村は疲弊していた。 . . . 本文を読む
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2678 賢治、家の光、犬田の相似性(#2)

2012-05-29 08:00:00 | 賢治・家の光・卯の相似性
《1↑『「人首町」の通り』(平成24年5月26日撮影)》 2.佐伯郁郎と人首   5月26日人首(奥州市江刺区米里人首町)を訪ねた。  当地は佐伯郁郎の出身地であることを過日知り、その実家やいわゆる「人首文庫(ひとかべぶんこ)」等を直接見てみたかったからである。  最初その場所が分からず、そのあたりとおぼしき通りを歩き回って探してみた。もちろん、幾つかの賢治にまつわる案内等があり、それがまずは目 . . . 本文を読む
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