以下は、自分が人生を明るく生きたいとの思いで、谷口雅春先生の多くの著書から抜き書きしていたものですが、読んでいただければ幸いです。
○われわれを生かすのは明るい思想である。さし昇る朝日のごとくさわやかな思想である。
さし昇る朝日のごとくさわやかな精神こそ日本精神である。
○明るい心を持つには何事が起こっても怒らぬということである。何事が起こっても悲しまぬということである。何事が起こっても失望せぬということである。何事が起こっても怒らず悲しまず失望せぬためには、起こった事物は「もうすんだのだ」と知ることである。≪中略≫ 天地一新、悪しきことはいまだかつて一つも起こらなかったし、これからも起こらない。それはすべて一新しゆく姿である。
○明るい反面ばかり見るものは常に生長し、暗い反面を見るとき人は暗黒の世界に墜落する。
どんなことにも喜びが見出される。雨が降ったらうっとうしいと言う代わりに「結構な善いお湿りだ」と喜ばねばならぬ。この世の中に何一つ無駄なものはない。この世の中に何一つ無駄なものがないと知ったとき、われわれは悲しむべき何物もこの世界にないことを知るのである。 P13
○明るく生きることは人生の一つの美徳である。強く生きることも一つの美徳である。大きく生きることはさらにもう一つの美徳である。何物をも包容しつつ、強く大きくしっかりと生命の大地を踏みしめて行くことは常によい。
○人に逢うて何かなつかしく、いつまでもその人と話していたいと思える人と、そうでない人とがある。ひらいた心の人でないと明るい眼の人にはなれるものではない。幼児の眼が澄んで清らかなのは、幼児の心は打ち開いた澄んだ天空海闊の心をしているからである。
ぱっちりと打ち開いた愛くるしい隠しのない眼の光で相手を見る人は必ず幸運である。
○沈滞期に屈せざる心の明るさと、努力を継続せしむる意思の力と、その意志の力を継続せしむる感激の押し出す力とを失わない者はついに大成するのである。
○われわれは太陽のない国に置かれてさえも、心で太陽を創造して自分の棲む世界を明るくしてみせると言うほどの自信を持たねばならぬ。人間は信念だけの値打ちである。
○神は開いた心の扉からのみ入り来たり給うのである。心を開いて待つことが神を招く方法である。
明るい心、歓喜の心、智慧ある悟り、すべて神を招き入れる扉である。
○無邪気に笑う樹草の花が人間に愛でられるのは、無邪気に生命が笑っている――そのこと自身がすでに価値であるからである。人間も同じことである。
○私は罪なき神の子である。すでに浄まれるものである。神の健康なる生命、神の喜びに充ちた生命がわたしである。わたしは喜びそのものである。私は幸福そのものである。私は健康そのものである。
○この世の中に悪しきもの、病い、不幸、災禍(わざわい)等があると思うな。かくの如き暗き観念をあなたの心の中より一掃せよ。ただ、明るきもの、健康、幸福、祝福、のみがあると信ぜよ。そして常に心の中に「神は光にして少しの暗き所なし」と念ぜよ。この言葉を心の中に繰り返せよ。やがてあなたの周囲に光の世界が、神の国の肖像なる世界が現実世界にあらわれて来るでありましょう。
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