昨日の午後、家から15k先にある「ワイルド・ネイチャアー・プラザ」という公園にいきました。
ここはかつて祖父江砂丘と言われていたところで、すく脇を木曽川が流れ、ウインド・サーフィンのメッカになっているところでもあり、若い頃たまに訪れていました。そして何年か前に久しぶりに来てみると、駐車場や広々としたバーベーキュウ広場も整備されていました。
ちょっとした散歩コースもあり、最近ではわたしのお気に入りの場所になっています。公園といっても自然を利用した公園ですから、写真のような「川べりの森」の感じがとてもよく、木々がよろこび、鳥がよろこび、空気が喜び、風もよろこんでいるという、まさにそんな感じのところです。
そして、ウインド・サーフィンを楽しむ人、バーベーキュウ広場では、野球、サッカー、バトミントンなど、大勢の人が思い思いに休日を楽しんでいて、人々が楽しんでいるのを見ているのもまた楽しいものです。わたしは一人ふらりと出かけたのですが、とても楽しい人時でした。
昨年の秋に来た時にもバーベキュー広場がにぎわっていましたが、今回はゴールデン・ウィークでさすがの広い駐車場も満杯で通路にまで車があふれかえっていました。私が着いたのは午後1時半ごろで、この頃には帰る人もいてすぐに車を止めることができました。しかし、後から後から車がひっきりなしに入ってきていました。
それにしても新緑の森、いいですねえ!
4人組の女性YOU(外人)の内3人が、手足を広げるポーズを取りながらと同時にジャンプし、ひとりがそれを写真に撮っていました。しかし、なかなかうまく撮れないらしく、何回か繰り返していました。自分にも撮らせてくれないかと頼みたかったのですが、変な男が邪魔をしてはいけないとと思い遠慮しました。YOUにとってもとても良いところに感じられたのだろうね。
帰りに通りかかった時には、あまりジャンプしすぎたせいか、一人が道端に横になっていて、どうしたのかと思ったら、今救急車を呼んだところだということでした。
悠々と流れる木曽川。さわたる風に心が弾む。
ここはバーベキュー広場の端っこ。カメラのバッテリー切れで、もっと広々した感じのところがあるが写せなかった。
シリアの人々がこんな風景を見たら、どんなにうらやましいことだろう。同じ地球に住みながら、あまりの差に驚きを禁じ得ない。もっと多くの人が難民に想いを馳せ、肉食をひかえるようにしなければならないと感じたことでした。
○如何に貧苦のどん底にあるが如く見えようとも、それはただ円月にかかっている雲の形のようなものである。雲の形がいかに暗澹として見えようとも、円月それ自身は未だ曇ったことがないのである。その如く、如何にあなたの外見が暗澹として見えようとも、あなたの実の姿は円満完全であって病気でも貧乏でもないのである。神があなたの内にあるのだ。 谷口雅春先生著 『幸福を招く365章』より
ときどき自分の欠点が人前はばからず丸出しになることがあり、そんな時には本当に情けなくなるが、しばらくして、自分を勇気づけ、再び元気にしてくれるのは、ここに書かれているような、「いかに外見が見苦しく見えようとも、自分の奥には完璧なものがある」という真理です。常に、このことを見失わないようにしなければと思う。