奥の細道を旅した松尾芭蕉も、同行する曾良と共に中尊寺に立ち寄っている。
その旅姿の像と句碑が、「金色堂」の近くに建てられている。
彼らは鎌倉時代に造られたと思われる「旧覆堂」の中に入って、ガラス越しでない
生のお堂を見ていたことになる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/74/5e8a082580710c1467eeb8f0f3415131.jpg)
『光堂は八代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝散うせて珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて既に頽廃空虚の叢となる
べきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぐ。暫時、千歳の記念となれり。
五月雨の 降り残してや 光堂』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/79/fdaaaebf6f72abf96ff4f5c06f856c73.jpg)
一時期、栄華を極めた平泉・藤原文化も早500年の歳月を経て、多くのものが朽
ちてかつての面影が薄らぐ中、「金色堂」だけが未だ昔のままに輝いている。
そんな光堂を、五月雨までもが降り残し、守ろうとしている・・そんな句意らしい。
芭蕉四十六歳、梅雨の季節のことである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/da/9edb5f9875c82696153bbfcfb78931c9.jpg)
岩手に生まれた宮沢賢治は、熱烈な法華経の信者としても知られていたらしい。
明治四十五(1912)年5月、盛岡中学の修学旅行で松島、仙台、平泉などを訪れた
賢治は、その時の印象から詠んだ短歌を残している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5b/bebe2d2f680ae1b4842cb0b18fab9c4d.jpg)
“中尊寺 青葉に曇る夕暮れの そらふるはして 青き鐘なる”
法華経の精神を受けて建立された中尊寺で、夕暮れに低く震える鐘の音を聞き、
その教えと共に深い共感と感銘を覚えてのことであろう。
賢治と中尊寺の結びつきは知らなかっただけに、少し以外でもあった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ed/3f221e2fdff4493c554febb168fe089a.jpg)
「金色堂」とは参道を挟んだ反対側、本坊の一角にその鐘楼が建っている。
説明によると康永二(1343)年の鋳造で、銘には寺の創建や建武の火災のことが
刻まれていると言う。
この当時は、まだ朝な夕なに鐘はつかれていたのであろうか、今日では撞き座の
摩耗が激しく、撞かれることもないが名鐘として知られている。(続)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/7e/f6c9ff7cf38f96bade385b81901ca646.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/fuki_yonde.gif)
JR北海道留萌線・留萌-増毛駅間を廃止。12月4日最終列車の運行を終え、
95年の歴史に幕を閉じました。 関連記事はこちらをクリックして下さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/3a/d16715ea58a5b0b741c4cbc41f734086.jpg)
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その旅姿の像と句碑が、「金色堂」の近くに建てられている。
彼らは鎌倉時代に造られたと思われる「旧覆堂」の中に入って、ガラス越しでない
生のお堂を見ていたことになる。
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『光堂は八代の棺を納め、三尊の仏を安置す。
七宝散うせて珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ちて既に頽廃空虚の叢となる
べきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨を凌ぐ。暫時、千歳の記念となれり。
五月雨の 降り残してや 光堂』
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一時期、栄華を極めた平泉・藤原文化も早500年の歳月を経て、多くのものが朽
ちてかつての面影が薄らぐ中、「金色堂」だけが未だ昔のままに輝いている。
そんな光堂を、五月雨までもが降り残し、守ろうとしている・・そんな句意らしい。
芭蕉四十六歳、梅雨の季節のことである。
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岩手に生まれた宮沢賢治は、熱烈な法華経の信者としても知られていたらしい。
明治四十五(1912)年5月、盛岡中学の修学旅行で松島、仙台、平泉などを訪れた
賢治は、その時の印象から詠んだ短歌を残している。
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“中尊寺 青葉に曇る夕暮れの そらふるはして 青き鐘なる”
法華経の精神を受けて建立された中尊寺で、夕暮れに低く震える鐘の音を聞き、
その教えと共に深い共感と感銘を覚えてのことであろう。
賢治と中尊寺の結びつきは知らなかっただけに、少し以外でもあった。
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「金色堂」とは参道を挟んだ反対側、本坊の一角にその鐘楼が建っている。
説明によると康永二(1343)年の鋳造で、銘には寺の創建や建武の火災のことが
刻まれていると言う。
この当時は、まだ朝な夕なに鐘はつかれていたのであろうか、今日では撞き座の
摩耗が激しく、撞かれることもないが名鐘として知られている。(続)
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JR北海道留萌線・留萌-増毛駅間を廃止。12月4日最終列車の運行を終え、
95年の歴史に幕を閉じました。 関連記事はこちらをクリックして下さい。
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