簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

吉原宿 (東海道歩き旅・駿河の国)

2020-02-17 | Weblog
 新吉原宿に入る少し手前の和田川を越える橋を「平家越え橋」と言う。
そこには街道の道標とともに、「平家越えの碑」が建っていた。
源平合戦の折このあたりの沼地に陣を敷いた平家軍は、飛び立った水鳥
の羽音に驚き、慌てふためいて総退却したと言う話がこの地に伝えられて
いるそうだ。





 吉原宿で富士山が左手に見えるのは、宿場の位置が度々変更されたこと
による。宿場制度が出来た当初の吉原宿は、東から西に向かう街道に沿っ
たJR吉原駅の東側辺りまでで、元吉原と呼ばれている。
しかし宿場は「海水あふれ、民屋ことごとく崩れる」津波の災害にあい、
十町程北に移されたのが中吉原宿で今日の左富士神社の有る辺りらしい。





 しかしそんな宿場は、ここでも高潮の被害を受け、落ち着くこともなく
更に北西の新吉原宿へと追いやられ移転されている。
それが製紙の町富士市の中心街である吉原本町の辺りで、商店などが建ち
並ぶ、アーケードのある繁華街となっている。
当時本陣が2軒、脇本陣が3軒、旅篭は60軒、家数653軒有ったと言うから、
結構賑わった宿場町らしく、宿内の人口も3,000人近くいたらしい。





 この度重なる宿場の移転により街道も付け替えられ、これまで東から
西に向け真っ直ぐ延びていたものが、急に北方に回り込み、一時的に北
東に向かう場所ができ、そのことが富士を左に望む形となったのだ。
広重の吉原を描く画にも、松並木の続く街道の左手に富士の姿が描かれ
ている。
迂回路は西木戸を過ぎた富安橋辺りで元に戻り、二里半十二丁(約11㎞)
の蒲原宿までの道のりが待っている。(続)




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