簾 満月「バスの助手席」

歩き旅や鉄道旅行のこと
そして遊び、生活のこと
見たまま、聞いたまま、
食べたまま、書いてます。

街道一の人止場(東海道歩き旅・近江の国)

2024-01-19 | Weblog
 古城山の南に「三筋町」という特徴的な宿場町が形成された水口宿は、
「街道一の人止場(ひととめば)」と言われ、留め女による客引きが頻
りに行われていた。
 
 広重の絵で広く知られるようになった名物の「かんぴょう」や泥鰌汁
も名物で、泥鰌は周囲の田畑で豊富に獲れたらしい。
更に今では廃れてしまったが「水口細工」などの土産も豊富で、大いに
賑わったと伝えられている。





 大池町には、問屋場跡が有る。
江戸時代、伝馬の定めで宿駅(宿場)には人足や馬を定められた数だけ
揃える義務があった。揃わない場合近隣の村がその不足を補う「助郷」
と言う定めもあった。

 問屋場は、公用で旅をする役人などの荷物を次の宿場まで運ぶ、継ぎ
立てを差配する場所でその役人は宿場の有力者が務めていた。





 その前にあるのが文政年間から続く「菓匠 一味屋」である。
代表する銘菓は、「水口祭ひき山」「水口の里」「碧水最中」「茶慕」
「忍者の郷」「本陣羊羹」など品揃えは豊富だ。

 ここではなんてこともない最中ではあるが、やはり「忍者もなか甲賀
流」に手が伸びてしまう。甲賀忍者の秘術を記した巻物を意匠した近江
米や、十勝産小豆餡で作られた最中である。





 旧街道と大岡寺山門に向かう大手道(市道大岡寺線)とが交差する東
側、大池町に小公園がある。そこには、平成21(2009)年に、「江戸時
代の旅と宿」をテーマにしたからくり時計があり、広場や駐車場、トイ
レ等が整備されている。

 からくり時計の下側には、水口曳山のミニチュアが飾られ、その傍に
「曳山の由来」の書かれた碑が有る。それによると初めて登場したのは、
享保20(1725)年で、九基による巡行が行なわれた。
その後一町毎に造られ、今では三十基余を数えると言う。(続)




にほんブログ村 旅行ブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする