『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽
車が止った』川端康成の有名な小説「雪国」の書き出しである。
この国境の長いトンネルとは上越国境にある9.7キロの清水トンネルの事で、小
説の発表される4年前の昭和6年に完成した。
水上から越後湯沢に至る三十数キロの間は、上越線のハイライトと言っても良い
山岳区間である。
両側に高く荒々しい山々が迫り、深い谷が切り込まれた厳しい地勢の中、下り列車
は湯檜曽駅を出るとループ線で上りの勾配を稼ぎ、土合の駅を経て清水トンネルで
国境を超え、土樽から再びループ線で坂を下り越後中里に至る。
こんな山岳区間の緩和と複線化にあたり、13.5キロの新清水トンネルが完成し、
その途中にモグラ駅と呼ばれる土合駅が作られると、新線は下り用、従来の路線
は上り用となり、上り線と下り線は完全に分離された。
川端康成が執筆した当時のトンネルは下り線である。
清水トンネルを抜けた汽車が、土樽信号所に停車し、乗っていた主人公がそこで
目にした雪国ではあるが、今ではそんな情景を目にすることはもう叶わない。
上り下りが完全に分離された路線だから、各路線では全く違う趣を車窓から楽し
むことが出来そうだが残念なことに、未だこの間の下り線には乗ったことがない。
会津若松から只見線で小出に出た時も、長野から飯山線で越後川口に出た時も、
そして長岡から乗った今回も、どうしたことか一様に上り線で高崎方面に向かって
いる。(続)
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車が止った』川端康成の有名な小説「雪国」の書き出しである。
この国境の長いトンネルとは上越国境にある9.7キロの清水トンネルの事で、小
説の発表される4年前の昭和6年に完成した。
水上から越後湯沢に至る三十数キロの間は、上越線のハイライトと言っても良い
山岳区間である。
両側に高く荒々しい山々が迫り、深い谷が切り込まれた厳しい地勢の中、下り列車
は湯檜曽駅を出るとループ線で上りの勾配を稼ぎ、土合の駅を経て清水トンネルで
国境を超え、土樽から再びループ線で坂を下り越後中里に至る。
こんな山岳区間の緩和と複線化にあたり、13.5キロの新清水トンネルが完成し、
その途中にモグラ駅と呼ばれる土合駅が作られると、新線は下り用、従来の路線
は上り用となり、上り線と下り線は完全に分離された。
川端康成が執筆した当時のトンネルは下り線である。
清水トンネルを抜けた汽車が、土樽信号所に停車し、乗っていた主人公がそこで
目にした雪国ではあるが、今ではそんな情景を目にすることはもう叶わない。
上り下りが完全に分離された路線だから、各路線では全く違う趣を車窓から楽し
むことが出来そうだが残念なことに、未だこの間の下り線には乗ったことがない。
会津若松から只見線で小出に出た時も、長野から飯山線で越後川口に出た時も、
そして長岡から乗った今回も、どうしたことか一様に上り線で高崎方面に向かって
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