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a trip to Nara ―tumuli 1

2015-05-14 | trip
天皇陵の遥拝所

 当初は、金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)を見に、埼玉古墳群(さきたま風土記の丘)へ行きたいと思っていました。しかし、『古事記』や『日本書紀』の謎に迫るには、やはりこれらの書物が作られた場所へ行ってみるのが先決だと思い直し、ヤマト政権の中心地・奈良県を訪れてみました。
 本当は徒歩あるいはレンタサイクルなどで巡ってみるのが最適なのでしょうが、時間が限られているのと同行者が体力的に無理なので、自家用車での旅行となりました。車でのルートは、天理から国道169号を南下して明日香村へ入り、橿原市経由で国道24号を北上、奈良市の佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群まで。車の旅行は駐車場がネックになりますが、佐紀以外は駐車スペースがありました。
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 ↑地図の方角は、左が北(天理IC方面)で、赤が国道169号。桜井市方面へ向かいました。まずは、黒塚古墳。ここは古墳展示館が作られていて、古墳の遺構が自由に見学できるようになっています。が、ちょうど休館日に当たってしまったので仕方なくパス。そこからすぐの柳本交差点の左手に、行燈山古墳(崇神天皇陵)の駐車場があります。
  
10台ほど置ける駐車場の奥に古墳。階段を上ると遥拝(ようはい)所があり、柵がしてあって中に入れません。
尤も周囲には水をたたえた周濠があるため、近寄ることは無理です。
 駐車場の隣りにも大きな前方後円墳がありました。それは崇神天皇の陪塚(ばいちょう)で、名もない古墳にもかかわらず、地方の古墳に比べたらとても大きいです。第10代天皇(とされる)崇神天皇の陵墓と比定されている行燈山古墳(考古学名)は、全長242mもあります。
 行燈山古墳から車で1~2分で渋谷向山古墳(第12代景行天皇陵)に着きました。駐車スペースも結構ありましたが、陵墓まで田んぼの畦道を歩きました。陵墓正面、パチンコ店の向かい側に駐車場がありましたが、表示がないので解りづらいです。
  
景行天皇はヤマトタケルの父親なので、見てみたかった古墳の一つでしたが、周濠のある前方後円墳は、現在画一化されているのでどれを見ても同じに見えます。大きさは、崇神天皇陵を上回る全長300m。この辺りは柳本古墳群といって、3世紀後半から4世紀末(古墳時代前期~中期)に造られた古墳だそうです。
 更に車で走る事数分。「巻向(まきむく)」の表示が…ここがあの纏向遺跡(まきむくいせき)のある所…そして「箸中(はしなか)」と書かれた交差点を越えるとすぐ左手に池が見えます。その横に卑弥呼の墓と推測されている箸墓古墳(はしはかこふん)があります。道路反対側にある三輪そうめんのお店へ昼食を兼ねて駐車させてもらいました。そこから箸墓古墳までの近道は、花木センターの駐車場の奥から池の堤へ出ると、トレイル用の小路がついているので少し歩きます。
  
 箸墓古墳は、第7代孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)のお墓と言われています。それがなぜ卑弥呼と繋がるのかというと、古墳が造られた年代が卑弥呼が死んだとされる3世紀前半と重なるという事と、百襲姫が巫女的女性だったことから、彼女を卑弥呼とする説が出たのだそうです。しかし、天皇陵は学術的発掘を禁じているため、卑弥呼と関係あるのかどうかは憶測の範囲をでることはありません。天皇陵とされている古墳の調査がしっかりできれば、卑弥呼の謎も、日本の古代史も、明確になるに違いありません。