ゆがわ おさむ の 年を取りながら(H29.10.15~)

サー 残りの人生 どう生きようか 楽しく そして ノーンビリと 活きて生きる・・・ゾ

丁度よい

2009-08-10 06:41:14 | Weblog
                 蕎麦 ゆかわ の 蕎麦会席

お前はお前で丁度よい

 顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
 
 貧も富も親も子も
    息子の嫁もその孫もそれはお前に丁度よい

 幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい

 歩いたお前の人生は
   悪くもなければ良くもない
        お前にとって丁度よい

 地獄へ行こうと極楽へ行こうと
      行ったところが丁度よい

 上もなければ下もない
      死ぬ日月さえも丁度よい

お釈迦様の言葉です。

このようなお釈迦様のことばを見、すごい言葉だ・・・と何回も読み返した。

しかし、何回か読み直すうちに、どんな時に話せる言葉なのか?
「お前・・・」とあるしなー。

「歩いたお前の人生は悪くもなければ良くもない お前にとって丁度よい・・・」と自分の息子に云ったとしたら、顔は笑っても、心の中は煮えたぎるかもしれない。
ましてや、職場などでは使う言葉ではなさそうだ。
やる気を無くすだろう。

逆に自分が年上の人から「・・・お前にとって丁度よい」と云われたとしても嬉しくない。

価値観、人生観が大いに絡んでいるのことを云っていると思うが、それは人それぞれ皆違う。

解った。
自分が自分に向かって、自問自答している・・・と思う。
自分が自分に向かって、「お前はお前で丁度よい・・・」と考えるとすんなり受け入れることができる。

他人が自分の人生を作ったのではない。
自分が自分の人生を作ったのだ。
そして、自分の信ずるところを一生懸命頑張った結果だ。

一生懸命頑張ったのだから、それでよいのではないか・・・とお釈迦様のやさしい気遣いのお言葉と勝手に理解しました。

このように理解することで、お釈迦様のやさしい気持ちが解るような気がする。