H大学のレポート提出期限が終わりましたので、現代科学のコスモロジーのどういうポイントがどういうふうにニヒリズム(+エゴイズム+快楽主義)を克服するのか、数回に分けて、簡単な解説を加えておきます。
「ニヒリズム」の定義
私のいう「ニヒリズム」――ニーチェとまったく同じではありません――のポイントは、以下のとおりです(これまでの説明を整理しなおしました)。
1 すべては物質にすぎない
→2 神(精神的で絶対な存在)はいない
→3a(絶対的な)人生の意味はない
→3b(絶対的な)倫理もない
→3c 死んだらすべては物質に解体して終わり。
(ばらばらの物質は残るが)意味としては無になる。
この「いない」「ない」「無」がラテン語の「ニヒル」にあたり、〔物質以外〕すべては無・空しいという考え方を「ニヒリズム」というわけです。
すべてが空しいという考え方を突き詰めて考えると、そのプロセスで心身を病み、さらに突き詰めると自殺するしかなくなります。
そうならないためには、絶対ではなくてもとりあえずある相対的で主観的な「自分の楽しみ」、パスカルの言う「気晴らし」を追求して生きるしかなくなります。
そして絶対なもの・いちばん価値あるものはありませんから、自分(たち)がいちばん価値がある・いちばん大事と考えておくしかなくなります。自分・エゴがいちばん大事という考え方を「エゴイズム」といいます。
自分を超えた絶対なものはないので、すべての価値の基準はエゴとエゴが価値があると思うこと・楽しみになっていきます。それを「快楽主義」というのでした。
ニヒリズムは、徹底すれば自殺に、徹底しなければエゴイズムと快楽主義に到ります。
克服のポイント1――「ばらばらの物質」から「一体のエネルギー」へ
それに対して、まず何よりもアインシュタインの相対性理論が、「すべてはばらばらの物質(にすぎない)」という近代科学の基礎的なドグマ(教条化した考え)を「すべては一つの宇宙エネルギー」というふうに、完全に克服というか止揚(含んで超える)してしまいました。
そして、プリゴジーヌの散逸構造論=物質の自己組織化能力の理論によって、「宇宙における物質の運動は基本的に偶然的・アトランダムなもので意味や目標はない」という近代科学のもう一つのドグマも克服され、「全体としての宇宙には自己組織化・自己複雑化という進化の方向性がある」ということになりました。
ガモフの「ビッグ・バン仮説」以来、宇宙はたった一点に凝縮していたエネルギーが広がったもので、広がり方のゆらぎ・ムラがさまざまな現象を生み出しているが、宇宙の現象のすべてはエネルギー・レベルで見ると依然として一体である、ということになりました。これでますます「すべてはばらばらの物質の寄せ集め」という近代科学的なドグマが克服されることになったのです。
*長くなりますので、以下は、また続けて掲載していきたいと思います。