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持続可能な復興のために

2011年04月02日 | 広報

 ここのところ「持続可能な国づくりの会」のブログに記事を書いていて、こちらに書く時間がありません。

 よかったら、ぜひ、読んでください。(さらに追加しています。)

 
 原発依存を転換する政治的意思 3月23日

 復興は確実だ! しかし… 3月24日

 復興の財源について:1つのアイデア 3月26日


 もし、日本国民が、この災害と復興のプロセスを持続可能な国づくりに向けることができたら、それこそ「困難の柄をにぎること」になるでしょう。

 東北は「復興」というより全面的に「新興」してほしい 3月31日

  日本人の常識を変えよう:「水と安全はタダではない」 4月1日

 
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原発は熱汚染源でもあったのか

2011年03月20日 | 広報

 こうした状況の中で、素人が原発について発言するのは混乱の種になるだけでどうかという気もするのですが、まわりの方から「どう思いますか? どうしたらいいでしょう?」と聞かれることも多く、立場上まるで答えないわけにもいかず、「あくまで個人的にはですが、こういう情報に基づいてこう判断しています」と言っています。

 そうはいっても直接にお答えすると、その方の判断・決断にかなりの影響を与えてしまいそうなので、「そうなっても責任は取れないと思うので、今後、直接お答えはしないことにさせてください。私はこういう情報に基づいてこういう判断をしているということを、ブログに時々書きますから、もしよければ、参考にしてください」とお願いすることにしました。

 それで、17日の広瀬隆氏の発言を聞いていて京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏の名前が出てきたので、ネット検索してみたら、同じく17日に「ビデオニュース」(http://www.videonews.com/)で電話インタビュー(http://www.videonews.com/interviews/001999/001761.php)があったので聞いてみました。

 広瀬氏も指摘していたように、NHKは基本的に原発推進派の「専門家」ばかり起用していて、原発の安全性についての認識がまったく違う反対派の専門家には発言の機会を与えていないようです。

 元日立の技師で4号機の設計に関わり、その後危険に気づいて退職し、今では原発を止めようと必死の活動をしておられる田中三彦氏(個人的にも知り合いで非常に信頼できる人だと思っていますが)などは、ぜひ発言してもらいたい人ですが、NHKなど大きなメディアには起用されていないようです。

 官房長官の記者会見もそうですが、そのあたり、社会的パニックを引き起こさないように配慮しているのかもしれませんし、それはある程度必要なことかもしれませんが、危機の大きさに見あった、市民の適切な判断―決断―行動のための公平な情報提供という意味で、「それでいいのだろうか」と強く疑聞に思います。

 NHKTVでは昨日あたりから朝の連続ドラマが始まり(我が家も見ていますが)、今日はのど自慢をやっていて、被災地以外ではもういつもの日常が始まっている・始めていいかのような「空気」が醸し出されていますが、それでいいのでしょうか。

 人間は、長い緊張には耐えられないとか、辛い話ばかりの時には明るいニュースがほしくなるというのは、私自身もよくわかる人情ですが、しかし現実の危機に対しては、過度に感情的な「危機感」ではなくむしろ正確な「危機認識」を持ち続けながら、適切な危機管理をしていかなければならないと思います。

 小出氏の話を聞いていて、やはり大変な危機なのだと思うと同時に自分の不勉強を恥じたのは、原発が放射性物質を扱うという点で危険なだけでなく、CO2を出さないので温暖化問題(環境問題の一部)への切り札に見える(実際はそうではないことは小澤徳太郎氏が指摘しておられるとおりだと思いますが)という話もまるで違うということでした。

 現在、火山列島日本の上には54基もの原発があり――それだけでも結局もうどこにも逃げ場所はないという気がします――平均すると一日当たりウラン3kgを使って100万キロワットの電力を作り出しているのだそうです。

 広島に投下された原爆に使われたウランが800gくらいなので、その3、4発分のウランが毎日のように使われているわけです。

 原爆3、4個×54基分の核反応が毎日続いている……思っただけで頭がくらくらします。

 その結果生み出されたエネルギーの3分の1は電力になるのですが、なんと3分の1はもとの海水より7度熱くなった排水・廃熱として毎秒7tも海に排出されるのだそうです。

 結論を言うと、原発は海に大量の熱を捨てており、そういう意味で大変な「熱汚染」源だったようです。

 もしそれが正しいとすると、原発が環境問題(温暖化はその一部です)の切り札でありえないことは、ここからも明らかだと思われます。

 それとも海は広いので「問題になるほどの量ではない」ということになるのでしょうか。

 このことについて(も)、私が知らなかっただけなのか、多くの国民が知らされていないだけなのか……こんな原発を誰が作ったのか、作らせたのか……さまざまな思いが頭の中を駆け巡っています。

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観念を深くしていくほかない

2011年03月19日 | 広報

 知らせてくださる方があって、YOU TUBE http://www.youtube.com/watch?v=OKZ2rLwNxoo&feature=related で、ニュースの深層3:17(木)「福島原発事故 メディア報道のあり方」の広瀬隆氏の発言を聞きました。

 きわめて悲観的な見方で、もしこれが正しいとしたら、可能な人はただちにできれば国外、できなければせめて関東地方の外に避難したほうがよさそうですが、さまざまな事情――多くの方が思っておられる「縁のある人をおいて自分だけが逃げるわけにはいかない」「他所に逃げてもその後の生活の目途が立たない」などの気持ちなどなど――で、我が家も脱出できそうにありません。

 今日の政府やNHKの報道は、予断は許さないが少しずつ収束の方向に向かっているというニュアンスで、信じたいところですが、牛乳やほうれん草の放射性物質による汚染も明らかになってきていて、信じ切れません。

 どういう事態になるにせよ、ある種観念して起こってくることを受け容れたうえで、生かされている間はできることをやっていく、という姿勢でいるしかなさそうです。

 ちなみに、「観念」という言葉はもともとは仏教用語で、覚りを目指す洞察あるいは覚りによる洞察という意味でした。

 覚りの眼から見ると、生も死も、創造も破壊も、すべてはよし、と見えるのです。

 今、ただあきらめるのではなく、そういう意味での観念を深くしていくほかないと思っています。

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福島原発が非常に心配です

2011年03月18日 | 広報

 先ほど、福島原発の事故の危険度が国際基準で5、つまりスリーマイル原発の事故並みになったとNHKTVが報道していました。

 それから、時々見てとても参考になっている「スウェーデンの今」というブログに、スウェーデンなどが今回の事故をどう見ているか、特に緊急度について日本とは違った見方をしているようだという記事があり、事態を判断する上で非常に参考になりました。

 最終的な判断や行動決定は、あくまでそれぞれでするしかないと思いますが、私にとっては貴重な示唆になりましたので、みなさんにもシェアさせていただきます。

 なんとかこれ以上大きな事故に至らないように、みんなで強く強く祈りましょう。

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喪に服すことと働くこと

2011年01月25日 | 広報

 1月12日、我が家で介護していた妻の母が入院先で急逝しました。99歳でした。

 入院前まではとても元気で、この調子なら100歳までは生きるのではないかと思っていたので、ある種愕然としました。

 お通夜とお葬式は郷里山梨県のお寺(曹洞宗)で行なわれました。

 ちょうど寒さのもっとも厳しい時で、その時は気が張っていて大丈夫かなと思っていたのですが、帰ってきたら妻も私も風邪をひいていました。

 だいぶよくなりましたが、まだ少し咳が残っています。

 今年は去年より頻繁にブログを更新したいと思ってスタートしたにもかかわらず、そういうわけで、ずっと滞っていました。

 式では、いくつかのお経に加えて、「曹洞教会修証義(略して修証義)」(明治に『正法眼蔵』から抜粋して作られた曹洞宗の教えの要綱)が読まれていました。

その最初のほうに「生死の中に仏あれば生死なし」という言葉がありました。

ちなみに、曹洞宗では亡くなった人のことを「新帰元(しんきげん)」つまり新たに元に帰った(人)と呼ぶそうです。

 コスモロジー的に言い換えれば、「宇宙に還った」ということでしょう。

 今回ではなく義兄のお葬式の時に、先代のご住職が「散る桜 残る桜も 散る桜」という句を引用してお説法をしておられたのを思い出しました。

 確かに生きている私もまたやがて必ず死んで宇宙に還り、またある意味で再会するのだと考えてはいても、まったく虚脱感がないというわけにはいきません。

 すでに早くに私の両親は逝き、妻の父も逝き、これで母も逝ってしまったので、私たちはついに「親の無い子」になってしまったわけです。

 浄土系のお墓に「倶会一処(くえいっしょ)」と刻まれているように、やがてはみな同じ処(お浄土-天国-宇宙)に還って再会するはずなのですが、やはり別れには淋しさがあります。

 しかしそれもまた、道元禅師が「しかもかくのごとくなれども華は愛惜に散り……」と言っておられるとおり、理は理、想いは想いとしてあって、それはそれでいいのだと思っています。

 今年は、死者の喪に服すという気持ちと共に、しかし生きている者、これから生きていく者たちのためには、まだしておきたいことがある、できるだけしておこう、という気持ちで、これまで同様、あるいは以上に、ポジティヴに働いていきたいと願っています。

 関係者のみなさん、これからもよろしくお願い致します。

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BIGtomorrow誌11月号に監修記事掲載

2010年10月24日 | 広報

 『BIGtomorrow』という主として経済的成功=お金もうけの雑誌から、なぜか聖徳太子「十七条憲法」の記事のインタビュー―監修の依頼を受けました。

 これまでとは一味違う記事を掲載してみたいという編集者の意図を聞いて、協力してもいいかな、と思いました。

 もちろん拙著『聖徳太子「十七条憲法」を読む』やブログ記事のようなダイレクトな思想的主張ではありませんが、「十七条憲法」をビジネスの組織論・企業風土論として読むことはそれなりに面白いし有効性があると思います。

 なによりも、本気で「十七条憲法」の精神で経営している会社があったら、教え子たちを就職させたい! きっと、半年で「辞めたい」などとは言い出さないでしょう。

 よかったら買って読んでみてください。






















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『THE21』誌11月号にインタビュー記事掲載

2010年10月13日 | 広報

『THE21』誌に筆者のインタビュー記事が掲載されました。論理療法のエッセンスです。他の特集記事もおもしろいので、参考になると思います。書店、コンビニなどで、お買い求めください。















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