某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

竜巻ではなかったが・・・

2012-05-08 23:37:50 | ぼやき
 竜巻で大変な被害が出ている。心から同情申しあげる。こんなことを言っても何の役にも立たないが。
 あの時間私は自転車に乗っていた。雷が何度も鳴って、雨にならないうちに家まで帰りつこうと急いだが、大粒の雨が頭に当たったと思ったらとたんに豪雨になった。必死になって自転車をこいだが、あっという間にまるで滝の裏側にいるようになり、前も横も見えなくなった。小石が頭や顔に当たって痛い、と思ったら大粒の雹だった。自動車の来るのもよく分からないほどで十字路が怖い。諦めて自転車を引いて歩き出した。濡れたなんてもんじゃない、服のまま水に飛びこんだのと同じだった。
 家の門にたどり着いた頃、雨はもうやんでしまった。門には透明なおはじきがたまっていた。氷のおはじき。雹の群れだった。15分も降らなかったろう。そうとわかればどこかに雨宿りすれば良かった、スーパーでもよかったんだ、と意地悪な天気を恨んだが、苦労して走ったり歩いたりした道にはそうしたところが一軒もないことに気がついた。「なるほど、たいした田舎に俺は住んでいるんだな」と改めて感じた次第。
 それにしても、福島から避難してきた方々が今度の竜巻でまた被害に遭っておられる。全く神も仏もない。そんなことは昔からわかっているのだけれど・・・
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ハーメルンの笛吹き男と原発事故

2012-05-07 03:11:17 | ぼやき
 5月5日に守安功氏と雅子夫人の演奏を聴きに行った。久しぶりだった。「大和・生と死を考える会」の19周年を記念する催しの中に朗読劇「ハーメルンの笛吹き男」があり、守安夫妻が諸種の笛とアイリッシュ・ハープその他で演奏された。いつもそうだが、あのお二人の演奏はおそろしくいきがあっていて、まるでひとつの楽器がいろいろな音色でうたっているように聞こえる。昨日はハープが笛の音を包みこんですごく暖かく聴こえた。
 話の筋は、大量に発生したネズミの駆除を市長が笛吹き男に頼んだが、約束の礼金を払わなかったため子供を殆ど皆笛の音で連れて行かれてしまった、というご存知のものだが、何人もの手でふくらまされていた。登場人物は、無為無策の市長、代官、司祭。ネズミの被害に音をあげて市長を非難しながら、彼の撒く金にすぐ丸めこまれてしまう市民たち。正しく予言して処罰される預言者。市長たちや、それにたかる市民たちを軽蔑し絶望して去る浮浪者(真実を見ているのは社会のはみ出し者ばかりという設定。)市長は笛吹き男に高額の礼金を約束するが、ネズミがいなくなると態度豹変。駆除を自分(市長)の手柄にして金を出さない。市民も税金からそのような大金を出すのは反対だとわめき、誰一人笛吹き男の仕事とは認めない。認めるのは夜中に見ていた子供たちばかり。ではなぜネズミが大量発生したか。それは、市長が悪徳商人と組んで、金儲けの為に、外国産小麦を大量に輸入したが、その小麦にネズミが紛れ込んできたためだった。それを市長の娘が全部知り、絶望して子供たちについていってしまう。
 5月5日は子供の日。子供さんをなくされたご両親にとっては、命日に次いで悲しい日だろう。新聞もテレビも元気な子供達の様子ばかりを伝える。昨年の大震災では無数の子供達も犠牲になった。幸い無事だった子供たちも、まだこれから何十年もの間原発事故による放射能の影響に不安な日々を過ごさねばならない。あれから二度目の子供の日を迎えた。その日に、130人もの子供を一夜で失った話を上演する主催者さんたち。その様々な思いが観ていてビンビン伝わってきた。劇上演の趣意書にも「(放射能による被害で)私たちの子供が再び大量に命をおとさざるを得ない将来が、待ちかまえているのだという不安に駆られます」「私たちはハーメルンの子供たちの姿と、現在の日本の子供たちが背負わされている将来の姿とが、重なって映ってしまう不安に駆られます。此の朗読劇をご覧になられる皆様に、ぜひ現在の我が国の原子力行政のあり方に目を向けていただきたく、この伝説童話を上演することにいたしました。」とある。
 昨年の大震災では瞬時に無数の子供たちも命を奪われた。幸い無事だった子供たちも、まだこれから何十年もの間原発事故の影響に不安な日々を送らされる(福島の子供達だけではない。)笛吹き男の伝説は震災後の日本にそのまま復活してしまったようだ。
 
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