1947年5月23日、今から65年前のこの日にナチ・ドイツの’空飛ぶスパイ flying spy'として知られていた男(57歳)がダブリン城で自殺した。以下は本日のアイリッシュ・タイムズが伝えている「65年前の今日の記事」から。
ヘルマン・ゲルツ(Hermann Goertz)。リューベック生まれ。ナチ最高司令部の命を受けて、彼は1940年5月5日にパラシュートでアイルランドのミーズ県に降下した。以来彼はブリテンを孤立させ大西洋の補給生命線を断ち切る計画にアイルランドを巻き込むという国際的スパイ活動、政治的陰謀を画策した。しかし、同調者の仲間割れから国防委員会に内報があって18カ月後の1941年11月12日に逮捕、監禁された。
戦後の1946年8月に彼は釈放され、「ドイツ児童救済基金」に秘書として週給2ポンド10シリングで雇われた。これはドイツの児童をアイルランドの家庭で養育するため招致する基金であった。しかし、1947年4月12日彼は6名の他のドイツ人とともに再度逮捕され、5月14日にドイツに追放処分ときまり、マウントジョイ刑務所に投獄された。追放は1週間以上延期されたので、65年前の5月23日にダブリン城の外国人課に彼が連れ出されたときは再度延期されるものと期待していたらしい。案に相違して其の日のうちにドイツの飛行機で帰すと通告されると、彼はやにわにポケットからガラスの小壜を取り出し、歯で割って飲み込んだ。青酸カリ。彼はマーサー病院で絶命した。
第二次大戦中アイルランドは中立政策を堅持した。したがって、戦時中ドイツ大使館はアイルランドで活動していた。何もわざわざパラシュートで密入国して陰謀工作をしなくともよさそうなものだが、そうはゆかなかったらしい。もっとも、かなりのドイツの軍用機がアイルランドに不時着しており、乗組員はドイツ兵収容所に監禁されていた。イギリス兵アメリカ兵も別の収容所に監禁されていた。いずれもアイルランド軍が管理していた。勿論気分は一般に連合国贔屓だったから、イギリス兵はかなり自由に出入り出来たらしい。ドイツは北アイルランドを空襲したし、南の中立アイルランドも「誤爆?」していたから、スパイ工作などは上手くゆかなかったのだろう。
私が毎年宿泊していた大学寮はもとマーサー病院だった。知人の御父君が此の病院で亡くなったことは知っていたが、ナチのスパイもそこで死んでいたとは。今日まで知らなかった。まさか、私の泊まった部屋でのことではないだろうな。
ヘルマン・ゲルツ(Hermann Goertz)。リューベック生まれ。ナチ最高司令部の命を受けて、彼は1940年5月5日にパラシュートでアイルランドのミーズ県に降下した。以来彼はブリテンを孤立させ大西洋の補給生命線を断ち切る計画にアイルランドを巻き込むという国際的スパイ活動、政治的陰謀を画策した。しかし、同調者の仲間割れから国防委員会に内報があって18カ月後の1941年11月12日に逮捕、監禁された。
戦後の1946年8月に彼は釈放され、「ドイツ児童救済基金」に秘書として週給2ポンド10シリングで雇われた。これはドイツの児童をアイルランドの家庭で養育するため招致する基金であった。しかし、1947年4月12日彼は6名の他のドイツ人とともに再度逮捕され、5月14日にドイツに追放処分ときまり、マウントジョイ刑務所に投獄された。追放は1週間以上延期されたので、65年前の5月23日にダブリン城の外国人課に彼が連れ出されたときは再度延期されるものと期待していたらしい。案に相違して其の日のうちにドイツの飛行機で帰すと通告されると、彼はやにわにポケットからガラスの小壜を取り出し、歯で割って飲み込んだ。青酸カリ。彼はマーサー病院で絶命した。
第二次大戦中アイルランドは中立政策を堅持した。したがって、戦時中ドイツ大使館はアイルランドで活動していた。何もわざわざパラシュートで密入国して陰謀工作をしなくともよさそうなものだが、そうはゆかなかったらしい。もっとも、かなりのドイツの軍用機がアイルランドに不時着しており、乗組員はドイツ兵収容所に監禁されていた。イギリス兵アメリカ兵も別の収容所に監禁されていた。いずれもアイルランド軍が管理していた。勿論気分は一般に連合国贔屓だったから、イギリス兵はかなり自由に出入り出来たらしい。ドイツは北アイルランドを空襲したし、南の中立アイルランドも「誤爆?」していたから、スパイ工作などは上手くゆかなかったのだろう。
私が毎年宿泊していた大学寮はもとマーサー病院だった。知人の御父君が此の病院で亡くなったことは知っていたが、ナチのスパイもそこで死んでいたとは。今日まで知らなかった。まさか、私の泊まった部屋でのことではないだろうな。