某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

またまた戦時中の中学生生活―疎開の子は出来ないなあ。

2009-11-19 19:13:19 | ぼやき
 昭和19年、中学二年生の時福島に疎開し、県立双葉中学に転入した。疎開の生徒が沢山いて、中学では困っていた。授業にならない!疎開組と地元生徒との学力が違いすぎてだめなのだ。疎開組は私も含めて本当に学力がなかった。
 東京では座学が半端で、すぐ勤労動員のようなことに駆り出された。週に一日は農業の授業もあって、はるか遠くの農場に出かけていって肥えたご担ぎをした。「陸軍の学校を受験するものは英語をやらなくていい」と英語の教師が言った。こんな状態で学力の付くわけが無い。
 困った双葉中学では、疎開組だけ必修の補習を始めた。授業が終わっても夕方5時迄汽車は来ない。上級生は工場で働いているから部活動も無い。汽車が来るまでぶらぶら遊んでいた。この時間を有効活用しようと先生たちは考えたのだろう。そうすれば疎開組も少しは出来るようになる、と。補習は三科目。英数国。いや驚いた、英語には文法と言うのがある。知らなかった。発音もローマ字とは違う。英語の先生は出征していたから、教えるのは歴史の先生。「素人」だからえらく面白かった。僅か3ヶ月で英文法を全部やった。専門の先生だとこうはいかない。数学にいたっては微分積分まで。お陰で劣等生がトップに躍り出た。戦争の影の殆ど無い(校長さんの訓話は別として)幸せな二年生だった。 
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