某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

東京初空襲と宮本武蔵

2009-11-04 14:30:09 | ぼやき
 昭和17年4月18日(土)。私は国民学校六年生で、一年生の教室の掃除をしていた。いきなり凄い爆音と大砲の音。校庭にすっ飛んで行くと、校舎の屋根すれすれに(そう見えた)大きな飛行機が飛んでゆき、高射砲の弾がそれよりはるか上の方で破裂し、黒煙を上げている。全然当たらない。すげーすげーと校庭を飛び回って皆で喜んでいると、先生が飛び出してきて「入れ、教室に入れ」と怒鳴った。私どもは敵の飛行機だとは思わなかった。大体、空襲なんてのが本当にあるとは思っていなかった。これが、ドゥーリトルの指揮した東京初空襲だった。
 教室に入れられて、机の下にもぐっていろと指示された。先生もどうしていいか判らないから、とりあえず地震対策と同じことを考えたのだろう。もし火事になったら焼け死ぬところだった。しかし、もう静かで何も無いからつまらない。仕方なしに机の中に敷いてあった新聞の小説を読んだ。吉川英治『宮本武蔵』。何が書いてあったかは忘れたが、えらく面白かた。中学に行けばこれが読める、と期待した。翌年中学に進学したら、何と、小説は読んではいけない、ときつい禁止令が出た。ガッカリした。では私はどうしたか。それは次回のお楽しみ。
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産児制限はアメリカの陰謀だったか?山宣とサンガー夫人

2009-11-04 14:27:48 | ぼやき
 また戦時中の中学生の記憶。昭和19年、福島県浜どおりに疎開した私は地元の県立双葉中学に通った(現双葉高校)。校長が講話好きで全校生徒を講堂に集めて話をする。あるとき、「謀略に注意しろ」という話をした。まだ大正時代に、アメリカのサンガー夫人とうのが来て日本国中講演して回った。内容はいつも産児制限。生まれる子供が少なければ、兵隊さんも少なくなり、日本は戦争が出来なくなる。それを狙って早くからアメリカはサンガーを日本に送り込んだのだ。生めよ増やせよの時代にとんでもない話だ。しかし日本人にも、とんでもないのがいた。あのサンガーを日本国中つれて回った男で、山本宣治という。これは悪い奴だから、殺されてしまった、と。
 悪がきの私達は、産児制限という言葉だけで興奮し、教室に帰ってからはその方の話ばかりで盛り上がったが、山本・・と言う名前は不思議と記憶に残った。大学生になってから、「山宣独り孤塁を守る、しかし、私は淋しくない・・・」という話や、治安維持法改悪反対で右翼に暗殺されたこと、それと産児制限運動とが同じ人によって行われていた事を知った。あの校長さんは知りもしない癖にでたらめを子供達に吹き込んだのだ。時代に迎合する者は白を黒といって恥じない、とつくづく思う。
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