某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

芝居見物

2012-02-14 20:05:58 | ぼやき
 ちょっと時代がかったタイトルだった。演劇鑑賞という方が現代的かもしれないが、こっちにはほとんど鑑賞眼がない。それでもたまに観る。講演会の後でもそうだが、終わると大勢の方々が熱心に感想を書いて係に渡している。偉いものだ。私など殆ど書いたことがない。というより何を書いたらよいかすぐにはわからないのだ。
 細かいことが気になることはある。いつか、文学座の公演で、有名な俳優さんが英語の本を最後のページから開いて読み始めた。日本語の本と同じ。「ありゃ、此の学者さん尻から読むのかよ」と大変な違和感をおぼえ、後は赤毛っとのサルまねに見えてしまい、いやになった。孫が先日「アルジャーノンに花束を」という小説を日本に置き換えて脚本を書き、演出した。私の横文字の本を舞台で使うからとゴッソリ持って行った。その時これを思いだしたので「文学座みたいな恥はかくなよ」と念を押した。舞台ではそのせいかちゃんと開いていた。ベケットの「ゴド―を待ちながら」を見たら、これも有名な俳優の某氏が舞台でハンケチを丁寧に畳んでいた。乞食のような多分アイルランドの中年(老年?)男がハンケチを丁寧に畳むなどありっこない。その後は役者がすっかり日本人に見えて駄目だった。
 間違いを指摘しても認めてもらえぬことがある。オケイシーの劇をこれも有名な日本の某劇団が演じた時、役者が1798年というべきところを1898年といった。アイリッシュは普通 '98(ナインティー・エイト)という。1798などと丁寧には言わない。英語の台本にもそう書いてある。しかし、それだけでは日本人に分かりにくいから、訳者は補ったつもりで、18と付けてしまったのだろう。あるいは、役者が1798を1898と言い間違えたか。原因はどうであれ、アイリッシュの会話としては絶対にありっこない、決定的な間違い。昭和20年8月15日を平成20年8月15日と言い間違えるよりもっとありっこない話だ。
 初日だったので帰りに係の人に静かに注意した。いきなり反撃された。「訳者がそんな間違いをするはずがありません。元の本にそうなっているのでしょう」仕方がないから、明日からは1798年と言いなさい、みっともないから、と言った。また反撃された。「あれはパブの無学な女の台詞です。知らないで、言い間違えてるということでしょう。」嫌になった。原文を調べてみます、くらい言えないのか、と。
 いまだに真疑の分からぬこともある。前にも書いた「皇国の訓導たち」に出てくるお巡りさんが、戦争中なのにでかい革靴と棍棒、ピストルといういでたちだった。私の知る限り、あれは敗戦後の姿で、戦争中のお巡りさんはサーベルを下げていた。ピストルも棍棒も持っていなかった。終わってから役者さんにそれを聞いた。「ああいういでたちの巡査もいたようです」という答えだった。しかし、宮城の警護ならともかく、鹿島灘の海岸ぷちの寒村に、そんな巡査がいたかな、とまだ疑問に思っている。
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2 コメント

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芝居・演劇 (小太郎)
2012-02-16 14:29:59
少なからず演劇に関わってきた者にとってはとても刺激的な記事でした。
通常、立ち稽古に入る前に作品の内容、時代考証はもとより時代背景に至るまで、じっくりと勉強するのが当たり前の事で、それがあるからこそ公演に自信も生まれてきます。
不勉強箇所のご指摘には謙虚に応える姿勢が必要ですね。それとも近頃は表面だけの速成芝居が多いのかしら?
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小太郎先生有難うございます。 (ちょっと意地悪な芝居見物者)
2012-02-16 23:13:42
演劇でも大先輩でしたね。確かに時代や其の社会についての理解がなければ、言葉もしぐさも上滑りして、観る者の心に響きませんね。私みたいに細かいところにこだわるのもどうかとは思いますが。テレビの時代劇でも、若い方が持つ太刀が棒にしか見えないことが良くあります。自分では何もできないくせにそういうところばかり目についてしまいます。特別意地悪な見方をしているつもりはないのですが。
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