某年金生活者のぼやき

まだまだお迎えが来そうに無い

流言飛語

2011-08-14 14:56:02 | ぼやき
 在京富岡友の会という会があって、だいぶ前(勿論今回の大震災よりはるか前)から首都圏在住の富岡町出身者が集まって、故郷訪問や故郷産食品定期購入などを行っていた。私も参加している。まさか大震災と原発破壊で町ぐるみ避難などという事態が起ころうとは夢にも考えていなかった。町の医者が、原発で働く人の症状におかしなことがあっても「風邪」と診断して(そう書いてくれと頼まれている)あとは不問に付す、という噂を会合のたびに聞いて「やっぱり危ないね」と他人事のように話の種にしているだけだった。
 町ぐるみ避難してもう5カ月以上になる。苦しい生活をこれほど長く続けさせられては、どうしても嫌な話が蔓延する。友の会の役員会にもそのような話が持ち込まれる。所謂「流言飛語」の類いだ。例えば、「津波が引いた後に残った金庫」という話がある。開けてみたら、中に札束が五億円あった。一緒にあった文書から町長のものと分かった。どうなっているんだ、という話。これを聞いた別の人が、「私が聞いた時は一億円だったよ」と言って皆で大笑いした。話がだんだん大きくなり、五億まで太ってしまったらしい。馬鹿な話で、誰も信じないだろうと思ったら、「そういう噂があるから、義捐金を出さない」と断る人が出ているという。
 また、屋根に一番早くブルーシートをかぶせて修理をしたのは町政の有力者で、「うまく屋根が修理できるかどうかテストしたのだ」と弁解していたが、その後は誰のところも修理されていない、という話がある。「自分のことしか考えない奴」と言われた。しかし、皆避難して文字通りゴーストタウンになっているのだから(玄関までの通路がすっかり雑草に覆われている家が多い)、屋根瓦の修理など出来っこないのに、見当違いの勘ぐりだけが独り歩きしている。長い避難生活、先行きの不安、それらに苛まれて辛い思いをしている人々の神経をこれ以上逆なでしないでほしいと思う。
 近頃は「流言飛語」と言わず、「風評被害」という。流言飛語なら誰かが悪い火種を撒いたと聞こえるが、風評被害といえば、誰も責任を取らない。皆被害者。京都の大文字焼きの薪拒否など馬鹿馬鹿しい過剰反応に思えるが、京都の人は自分たちが被害者だと思っているのだろう。本当は流言飛語の火種のくせに。どうも京都の人間にはいやな奴がいるね(これもちっと過剰反応か。)
 
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