防人

2011年03月25日 | Weblog
▼福島第一原発の最前線できのう3月24日、ケーブルの敷設作業に当たっていた東電の協力会社のかたが3人、被曝した。
 もっとも懸念していた最前線での被曝は、痛恨の極みだ。
 この一つ前の書き込みで、「原発の構内は別問題です。最前線で、わたしたちのために戦っているかたがたには、格段の対応が絶対不可欠です」と記した、その「格段の対応」が全く不充分だったことが明らかになった。

 その現場である3号機のタービン建屋地下1階には、深さ15センチの水が満ちていた。
 今回の災害で大量に放水しているのだから、使用済み核燃料棒がプール内で一部損傷した結果として漏洩しているとみられる放射性物質をはじめ、その水が放射性物質を帯びていることは必ず、想定されねばならなかった。
 それにも関わらず、たとえば、この3人のかたのうち、長靴を履いていたのは1人で、残る2人はなんと短靴だったという。
 その水中に、放射線管理の専門家の同行がないまま踏み込んだことを含め、これらは衝撃的な管理ミスであり、東電の責任は極めて重大だ。
 原子力安全・保安院も「それでも作業せねばならない」などと記者会見で言っている場合ではない。こうした発言は許しがたい。「最前線であえて戦うひとびとを護るために打つべき手をすべて打ちつつ、作業せねばならない」。保安院も東電も、その認識を明示し、官民ともに、その備えがまことに不全であるという事実を、すぐさま徹底的に改善せねばならない。

 3人のかたは、今のところの医師団の見方では、命にかかわる被曝ではない。
 また地域住民をはじめ一般国民には、放射線障害で治療を受けた人、受けねばならなくなった人は、年齢や地域を問わず、現在までのところでは、ひとりもいない。水道水も含めて、むしろ風評被害のほうが、現在も将来も、害が大きい。
 その事実は静かに踏まえつつ、最前線の同じ日本国民には、被曝によって救急車で病院に運ばれたひとが出たことは、痛恨事そのものだ。

 自衛官をはじめ警察官や消防官に加えて、いま、原子力災害の現場で戦うひとびとは、どなたであれ、現代日本の防人(さきもり)であり、わたしたち国民が支えねばならない。


▼たとえば虎の門病院血液内科の谷口修一ドクターが、「なんとしても原発作業員は守らねばならない」と題して次のような提言をされている。

~以下、引用~
「福島原発の放水作業に従事された東京消防庁職員の記者会見に胸を打たれた方が多いのではないかと思う。指揮をとられた隊長さんが男泣きをこらえ、時に嗚咽しながら、出動した隊員や送り出されたご家族に対して感謝と謝罪の言葉を述べておられた。出動された隊員およびご家族も、想像を超える世界ではあるが、我が身顧みずとも、なんとしても地域住民ひいては日本国民を守りたいという強烈な使命感で業務に従事されたものと考える。
 しかし、それではいけない。彼らにそんな思いをさせてはならない。
 技術者は現代の先駆技術を駆使して彼らを守り、我々医療者は有効な予防法を考え実行し、万が一の不測の事態でも、絶対に救命するという覚悟で、たった今準備、実行せねばならない。
 その準備とは、私の携わっている領域で言えば、作業に当たる方々の自己幹細胞を事前に採取し凍結保存しておくことであり、場合によってはそのために未承認薬を用いることである」
~引用、ここまで~

 そして、この志あるドクターは「いたずらに国民の不安をかき立てる目的ではなく、不測の事態を危惧しながらも決死の覚悟で原発最前線の業務に従事される方々を守らねばならないという一心」と強調されている。

▼ぼくは、この準備的措置を支持する。
 それには政治決断が必要だ。
 そして政治に決断を迫るのは、主権者しかいない。


    痛恨の日から一夜明けて(3月25日午前5時半)

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