▼腸閉塞で再入院して12日目のきのう、3月18日の金曜日、医師団の外出許可のもと、都内で長時間の外出仕事をした。
夜とても遅くに、病室に戻って、看護師さんに取っておいてもらっていた夕食をいただいた。
都内は、きちんと節電が守られているように感じた。
一方で、人も車も少なく、寂しげに沈んでいる首都であるようにも、感じられた。
ただし、実際はそんなことは無いだろうと思う。
たとえば、かつて都内のいくつかの経済講演会で、ぼくのつたない話を聴いてくださった中小企業のかたがたの顔がいま、思い浮かぶ。あのみなさんの小気味よい元気は、きっと健在だ。
ぼくは五分粥(ごぶがゆ)と煮魚とキュウリもみの夕食をいただいたあと、情けないことに、気持ちが疲れていることに、嫌でも気づかないわけにいかなかった。
体の疲労は、さして、なかった。腹痛も、再入院以来初めて、ほとんど起きなかった。早期大腸癌で腸を15センチ切除した、その傷の痛みはそりゃ、あるけれど、そんなものじゃない、思わず背中を丸めそうになるような腹の痛みが、初めて、おおむねは消えた。
それもあって、体は疲れていない。
しかし気持ちには、疲れがあった。なぜか。おのれを責める気持ちがあるからだと思う。おのれは、非力に過ぎる。ぼくは、一民間人であることにこだわって仕事をしてきた。記者時代もほんとうはそうだったし、記者を辞めてからは、一民間シンクタンクの一員として政治や経済に問題提起し、その問題提起を評論に終わらせず、実務策を具体的に、政府機関にも、公共的な仕事の民間企業にも、直接に提示することに徹してきた。
ところが、実際には、その問題提起も実務策も、ほんのごく一部しか実現せず、あとは霧の彼方に消えた。
いままでは、それをむしろ逆に考えてきた。
百に一つと言うより、千に一つですらなく、ほぼ万に一つのことであっても、一民間の提示する具体策を、日本の政府機関が実務として採り入れること、たとえば日本の原子力発電所ですべて、テロ・サボタージュを含む外国勢力への妨害工作に対する抑止力として特段の訓練を受けた武装警官隊を常駐させる、それが実現した背景あるいは契機として、民間の考えが活かされたことは、物凄い変化だと考えてきた。
ぼく個人や独研(独立総合研究所)だけのことを言っているんじゃありませぬ。利害関係を持たない、民間の知恵、それを活かして初めて国家を滅ぼすのではなく子々孫々へ受け継いでいけるという、国民国家の哲学を、つたないながら語ろうとしている。
それが、大きな意味を持つことは、いまも変わりない。
警察官を束ねる警察庁という官僚組織のなかに、ただのお役人ではなく良心派と言うほかないような、静かな愛国者たちが存在していること、電力会社という独占企業のなかにも、大企業にあぐらをかくのではなく、やはり良心派と言うほかない正直者の愛国者たちが、何もご自分を飾ることなく存在していること、その貴重な両存在が合わさって、それまでの日本の原子力防護には根幹から足らざる点があることを、初めてありのままに認めることに繋がり、それが原子力発電所に大きな抑止力を備えることに直結していった。
これをたとえば、イギリス政府が参考にして、イギリス国内の原子力防護のあり方を変えた。
ぼくは、敗戦後初めて、勝者の側が、敗者の日本から安全保障をめぐって学び、評価し、採り入れたケースだと、日本側にもイギリス政府側にもごく短くだけ話して、胸のうちでは、日本国をたいへんに誇りに思った。
日本国内、イギリス国内、それぞれのもっと詳細な変化は、テロリストと外国工作員に情報を与えないために、これ以上は記さない、記せないけれども、日本は一般に「とにかく危機管理に弱い」、「守れない国だ」とだけ言われるような国であることから脱する努力も、前線では、始まっている。
▼だけれども今、東日本大震災によって苦しみ抜き、のたうち回る、福島第一原子力発電所がある。
そして、自然災害への防災はぼくの関心分野であっても専門分野ではないにしても、想定をはるか超えた津波によって根こそぎさらわれた、膨大な命、家屋、生活、仕事がある。
この、おのれのあまりの非力は、いったい何だろうか。
民間人であることにこだわってきたことが、ひょっとしたら間違いでもあるのか。
その考えが、くりかえし胸を噛み、病室の夕食のあと、ぼくはどうにもモバイル・パソコンを立ち上げる気になれなかった。
必要な紙資料・書類の整理などをやりつつ、すぐに日付が変わり、夜明けが近づくなかで気づいたら疲れ果てて眠り込んでいた。
そして悪夢をみていた。
ひどい悪夢から目覚めて、気を取り直して、やっとモバイル・パソコンを立ち上げた。
そして、「コメント例の公開」についての意見も読んだ。
楽しい、という意見もあったけど、「そんなことに時間を取らないでほしい」という意見が、予想を超えて多かった。「自分のコメントをなぜ公開しないんだという不満が必ず来る。だから、すべて公開しない方がいい」という冷静な意見もあった。
さらに、「自分の前のコメントは非公開にしてほしい」というコメントもあった。膨大な中から遡(さかのぼ)って探すことは無理ですよ、と明記しているのだけれど、やはりこういうコメントも来ます。
申し訳ないですが、「逆に探していく」ということはやはりまったく困難なので、ひとつひとつのコメントを順番に読み返していくなかで「一例として公開していくかどうか」を、ゆっくり判断していきます。
また、前述のような冷静な意見をも踏まえて、コメント例の公開のために、ぼくの24時間に無理がかかり過ぎるときは、こだわらないで再考します。
▼さぁ、非力ではあっても、戦わねば。
きのう仕事先で会った経済人が、「なんだ、手術前よりずっとずっと顔色がいいじゃないですか」とおっしゃり、「まだ、やることがあるよって、そういう天の意思ですよ」と笑って言われた。
この叩き上げの著名な経済人(ある企業の会長)とは、もしも菅さんが首相でなくなれば、どんなプロセスで新しい本物の救国内閣をつくり、その首班は誰か、という議論も交わした。
うん、このちいさな存在のぼくは、いつか天にひっそりと帰り、あるいは地に朽ち果てるまで、身を澄ませて戦うだけだ。
脱私即的。だっしそくてき。わたくしを脱し、ほんらいの目的に、即(つ)く。
*来週3月23日水曜、関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」はやるそうです。
ただし、生放送の開始時刻を2時間早めて、午後3時から4時までナマで放送(いったん1時間早める、という連絡があり、さらにそのあと、いや2時間早めるという再連絡がありました)。
そして、「青山のニュースDEズバリ」のコーナーは無いそうです。
がんばれ、志ある関テレ報道部。
夜とても遅くに、病室に戻って、看護師さんに取っておいてもらっていた夕食をいただいた。
都内は、きちんと節電が守られているように感じた。
一方で、人も車も少なく、寂しげに沈んでいる首都であるようにも、感じられた。
ただし、実際はそんなことは無いだろうと思う。
たとえば、かつて都内のいくつかの経済講演会で、ぼくのつたない話を聴いてくださった中小企業のかたがたの顔がいま、思い浮かぶ。あのみなさんの小気味よい元気は、きっと健在だ。
ぼくは五分粥(ごぶがゆ)と煮魚とキュウリもみの夕食をいただいたあと、情けないことに、気持ちが疲れていることに、嫌でも気づかないわけにいかなかった。
体の疲労は、さして、なかった。腹痛も、再入院以来初めて、ほとんど起きなかった。早期大腸癌で腸を15センチ切除した、その傷の痛みはそりゃ、あるけれど、そんなものじゃない、思わず背中を丸めそうになるような腹の痛みが、初めて、おおむねは消えた。
それもあって、体は疲れていない。
しかし気持ちには、疲れがあった。なぜか。おのれを責める気持ちがあるからだと思う。おのれは、非力に過ぎる。ぼくは、一民間人であることにこだわって仕事をしてきた。記者時代もほんとうはそうだったし、記者を辞めてからは、一民間シンクタンクの一員として政治や経済に問題提起し、その問題提起を評論に終わらせず、実務策を具体的に、政府機関にも、公共的な仕事の民間企業にも、直接に提示することに徹してきた。
ところが、実際には、その問題提起も実務策も、ほんのごく一部しか実現せず、あとは霧の彼方に消えた。
いままでは、それをむしろ逆に考えてきた。
百に一つと言うより、千に一つですらなく、ほぼ万に一つのことであっても、一民間の提示する具体策を、日本の政府機関が実務として採り入れること、たとえば日本の原子力発電所ですべて、テロ・サボタージュを含む外国勢力への妨害工作に対する抑止力として特段の訓練を受けた武装警官隊を常駐させる、それが実現した背景あるいは契機として、民間の考えが活かされたことは、物凄い変化だと考えてきた。
ぼく個人や独研(独立総合研究所)だけのことを言っているんじゃありませぬ。利害関係を持たない、民間の知恵、それを活かして初めて国家を滅ぼすのではなく子々孫々へ受け継いでいけるという、国民国家の哲学を、つたないながら語ろうとしている。
それが、大きな意味を持つことは、いまも変わりない。
警察官を束ねる警察庁という官僚組織のなかに、ただのお役人ではなく良心派と言うほかないような、静かな愛国者たちが存在していること、電力会社という独占企業のなかにも、大企業にあぐらをかくのではなく、やはり良心派と言うほかない正直者の愛国者たちが、何もご自分を飾ることなく存在していること、その貴重な両存在が合わさって、それまでの日本の原子力防護には根幹から足らざる点があることを、初めてありのままに認めることに繋がり、それが原子力発電所に大きな抑止力を備えることに直結していった。
これをたとえば、イギリス政府が参考にして、イギリス国内の原子力防護のあり方を変えた。
ぼくは、敗戦後初めて、勝者の側が、敗者の日本から安全保障をめぐって学び、評価し、採り入れたケースだと、日本側にもイギリス政府側にもごく短くだけ話して、胸のうちでは、日本国をたいへんに誇りに思った。
日本国内、イギリス国内、それぞれのもっと詳細な変化は、テロリストと外国工作員に情報を与えないために、これ以上は記さない、記せないけれども、日本は一般に「とにかく危機管理に弱い」、「守れない国だ」とだけ言われるような国であることから脱する努力も、前線では、始まっている。
▼だけれども今、東日本大震災によって苦しみ抜き、のたうち回る、福島第一原子力発電所がある。
そして、自然災害への防災はぼくの関心分野であっても専門分野ではないにしても、想定をはるか超えた津波によって根こそぎさらわれた、膨大な命、家屋、生活、仕事がある。
この、おのれのあまりの非力は、いったい何だろうか。
民間人であることにこだわってきたことが、ひょっとしたら間違いでもあるのか。
その考えが、くりかえし胸を噛み、病室の夕食のあと、ぼくはどうにもモバイル・パソコンを立ち上げる気になれなかった。
必要な紙資料・書類の整理などをやりつつ、すぐに日付が変わり、夜明けが近づくなかで気づいたら疲れ果てて眠り込んでいた。
そして悪夢をみていた。
ひどい悪夢から目覚めて、気を取り直して、やっとモバイル・パソコンを立ち上げた。
そして、「コメント例の公開」についての意見も読んだ。
楽しい、という意見もあったけど、「そんなことに時間を取らないでほしい」という意見が、予想を超えて多かった。「自分のコメントをなぜ公開しないんだという不満が必ず来る。だから、すべて公開しない方がいい」という冷静な意見もあった。
さらに、「自分の前のコメントは非公開にしてほしい」というコメントもあった。膨大な中から遡(さかのぼ)って探すことは無理ですよ、と明記しているのだけれど、やはりこういうコメントも来ます。
申し訳ないですが、「逆に探していく」ということはやはりまったく困難なので、ひとつひとつのコメントを順番に読み返していくなかで「一例として公開していくかどうか」を、ゆっくり判断していきます。
また、前述のような冷静な意見をも踏まえて、コメント例の公開のために、ぼくの24時間に無理がかかり過ぎるときは、こだわらないで再考します。
▼さぁ、非力ではあっても、戦わねば。
きのう仕事先で会った経済人が、「なんだ、手術前よりずっとずっと顔色がいいじゃないですか」とおっしゃり、「まだ、やることがあるよって、そういう天の意思ですよ」と笑って言われた。
この叩き上げの著名な経済人(ある企業の会長)とは、もしも菅さんが首相でなくなれば、どんなプロセスで新しい本物の救国内閣をつくり、その首班は誰か、という議論も交わした。
うん、このちいさな存在のぼくは、いつか天にひっそりと帰り、あるいは地に朽ち果てるまで、身を澄ませて戦うだけだ。
脱私即的。だっしそくてき。わたくしを脱し、ほんらいの目的に、即(つ)く。
*来週3月23日水曜、関西テレビの報道番組「スーパー・ニュース・アンカー」はやるそうです。
ただし、生放送の開始時刻を2時間早めて、午後3時から4時までナマで放送(いったん1時間早める、という連絡があり、さらにそのあと、いや2時間早めるという再連絡がありました)。
そして、「青山のニュースDEズバリ」のコーナーは無いそうです。
がんばれ、志ある関テレ報道部。