祖国

2011年03月17日 | Weblog
▼みなさん、おはようございます。
 きょうも朝だけは無事に明けてゆきます。
 東京は静かな青空で、被災地の空ばかりが思われます。

 入院先の病室で徹夜するというのも、医師と看護師さんの努力に対して申し訳ないことですが、今朝もまた、ほぼそうなりました。この危機には、そうならざるを得ません。
 しかし大切なことは、医師団(執刀医、主治医、専門医など)や看護師さんたちの常時、完全な監視と管理下で、いま生活と仕事をしているということです。
 同時に、他の患者さんに絶対に迷惑をかけないことが不可欠ですから、個室に入り、正直、毎日、個室代が膨らんでいることに内心でおののきながら、退院の準備もしています。
 もうこれ以上は、どんなに借金しても無理ですね。


▼おととい3月15日火曜に、友情から決してキャンセルできない仕事に、この入院先から外出許可を得て新幹線に乗って西方へ出向きました。
 そして夜更けの新幹線で帰京するとき、静岡東部の地震で停電し、いきなり急ブレーキで列車が止まり、真っ暗になり、暖も失われました。

 西向きだった、往路の新幹線は、その時間帯にはいままで見たこともないほどの超満員で、しかも京都でどっと大量に人々が下車していきました。
 逆に、東向きのこの、帰りの新幹線は、いままで見たこともないほどガラガラで、ひとり乗っているぼく以外には、みごとに誰もいません。(もちろん、ぼくの居た車両は、ひとりだったということです。他の車両にそれぞれ、数はおそらくは少なくても、ひとがいらっしゃっただろうと思いますが、見に行っていません)
 その真っ暗な寒中の車内にいると、やたら長細いお棺の中にいるようだなぁ、と淡々と感じていました。

 そして、なぜ西向きは極端に混んでいて、東向きは逆に極端に空いているのか、やっと、「ははぁ」と分かりはじめました。
 そこで、車内にぼくしかいないこともあり、携帯電話もどしどし使って情報を集めてみると、間違いなく「東京・首都圏から人が逃げ出し、逆に、東京・首都圏へ帰ろうとする人がとても、とても少ない」という事実が確かめられました。

 ぼく自身には、東京を逃げ出す発想がまったくカケラもなかった、いま現在もカケラもないから、行きの混みぐあいを見ただけでは、ちょっと首をひねるだけだったのですね。
 ふひ。
 もっと、さっさと分からなきゃ駄目ですね。ぼくは闇の車内で、ぽんぽんとおのれの頭を叩きました。

 福島の原子力災害をめぐって、すくなくとも今朝までの段階(3月17日木曜午前5時半)で、ひとびとが東京・首都圏を離れなければならない健康上の理由はありません。
 しかし、車窓から見たあのかたがた、京都駅の下り階段に殺到していたひとびとの、どなたも、ゆめ、いささかも責めるつもりはありませぬ。
 子供連れのかたが多かったのは、胸に染みます。
 自分のことだけではなくて、次世代を護ろうとするお気持ちもきっと、間違いなく、あるのです。
 祖国の首都は、わたしたち、首都にとどまる多くの、広範な都民で護ります。安心してください。

 そのうえで、せっかく京都にいらしたのなら、短時間でも御所も訪ねてみてくれませんか。
 白い玉砂利を踏んで、どなたも分け隔てなく、天皇陛下の本来のお住まいに近づくことができ、その塀に外塀とはいえ直接、触れることもでき、内側も一部とはいえ見ることができます。
 このように、ご自分を護らない帝(みかど)のお住まいは、世界のどの皇帝、王様の住まいにもありません。

 そしてそこに、今上(きんじょう)陛下は、いらっしゃいません。
 首都に泰然ととどまられて、どの国民にも、どんな立場・主張の国民にも、いっさい分け隔てなく、お言葉を発せられました。
(明治維新以降ずっと天皇陛下は東京の皇居にいらっしゃるじゃないか、というコメントを寄せるひともきっといるでしょう。そのことではありません。この際しばらくは京の御所に戻られては、と案じる声も非公式にはあるなかで泰然と、動かれないということです)

 なぜ陛下は、京都にお戻りにならないのか、わたしたちは、自分が東京にとどまっている、いないに関わらず、それぞれおのれの胸に手を当てて、静かに考えてみませんか。


▼そして、菅さん、あなたはお辞めください。
 私心に満ち満ち、かつあまりに軽率な、軽々しい、あなたの行動、言葉、表情もまた、国民に必要以上の不安を掻き立てているのです。
 辞めなさい、菅さん、救国のためにこそ。

 ぼくは共同通信政治部の若手記者の時代に、42歳だったあなたと出会った。職務として、ほんとうに数多くの政治家と出逢ってきたけれど、選ばれて内閣総理大臣になったひとは、ほんのわずかです。
 そしていま、告げます。あなたは、ご自分が間違って選ばれたことを、静かに知るべきだ。
 わたしたちの民主主義は、私心を脱せられた天皇陛下と共もにあるオリジナルな民主主義です。
 その「日本民主主義」のリーダーとして、抜きがたい私利私欲にも、おのれが突き動かされていることの謙虚な自覚すらできないあなたは、致命的に資格を欠いている。


▼運命の東日本大震災が発生したとき、このときも偶然、ぼくは今回の仕事の往路に乗った同じ、のぞみ111号の新幹線の車中にありました。そして新幹線は非常停車しました。
 もちろん、同じ病院から医師団の許可を得ての外出仕事でした。

 今回もたまたま同じ、のぞみ111号で違う仕事に向かうとき、ある種の予感がありました。
 そして帰途、静岡の地震で、新幹線はやはり停まりました。

 静岡は、わたしたちの富士のふもとです。
 そこで、ある大学の良心的な学者の話を聴きました。富士の非常事態につながる可能性(あくまでも、ひとつの可能性)があると、彼は判断しています。
 富士はこれまでにも、何度も傷ついてきました。
 だから、慌てることはありません。
 もしも富士がいまの美しい姿を仮に、万一、喪っても、われらの胸に永遠にとどめて、富士も陛下も、日本国の永い伝統を護り支えてくださることをもう一度思い、それぞれの職務を淡々と、たゆまず、続けていきませんか。

 ぼくの身体も、まもなく退院して、もちろんまったく大丈夫です。
 いったん退院したら、おそらくは外来に来ることも、限りなく難しくなるだろう日々が待っています。
 それに備えて、いま力を蓄えるために、いましばらく病院にとどまってきました。
 医師団と看護師さんたちに深く感謝しつつ、そろそろ新しい戦場へ、武器なく、砦なく、出ていきます。


▼今朝の最後に、被災地の福島県に毅然ととどまっている、ある女性の社会学者のことに、ひと言だけ触れさせてください。
 彼女は、学生たちを束ね、勇気づけ、おのれはふり返らず、そして自ら車を運転して、東北のある遠い北の街へ、息子さんのお嫁さんを訪ねていった。そして赤ちゃんと、お嫁さんと、そのお母さんと触れあい、励ますべきは励まし、そして、なぜ福島市内の自分のところへ連れてこなかったかと、ひそかに涙している。

 ぼくは、慰めでなく、その場限りの言葉ではなく、「あなたは断固、正しい」と携帯電話で申しました。
 彼女の福島市内のアパートには、水がない。その北の街には、かろうじて水がある。
 ふつうなら、その水を自分も欲しいと思うだろうに、彼女はカケラもその発想がなく、自分のアパートで護るべきだったのではないか、判断を間違ったのではないか、ガソリンがないからもはやあそこに当分、行けないのに…と、ひとり、苦しんでいる。
 大学では全身で毅然と戦い、アパートに戻ると、涙している。

 あなたよ、光あれ。
 祖国は、あなたをこそ、求めている。

 たとえば、原子力災害の最前線で力を尽くす、自衛官、警察官、消防官・消防団員、公務員、そして東京電力の名もなき社員・労働者、協力会社の名もなき社員・労働者と並び、あなたをこそ求めている。




*写真は、今朝7時50分ごろ、この病院から携帯電話で撮った、首都と、富士です。
 富士は深々と白く、いちだんと、たおやかでありました。







  
 

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