樹村みのり『星に住む人々』を読む。
少女マンガに特にくわしいというわけではないが、高校生のころクラスの女の子に借りて、結構ハマって読んだ時期もあった。
そのとき彼女らが教えてくれた、
大島弓子『バナナブレッドのプディング』
萩尾望都『ポーの一族』
美内すずえ『ガラスの仮面』
大和和紀『はいからさんが通る』
川原泉『笑う大天使』
竹宮惠子『地球へ…』
などの作品は、ただおもしろいだけでなく、今までなじんでいた少年マンガとはまた違う表現手法や文法で描かれていたところが、すこぶる興味深い。
世の中にはまだまだ、自分の知らない世界が広がっているもんなんだなあと蒙が開かれる思いだった。
なので自分は、男の中ではわりと女性向け(という括りももう古いんだろうけど)に書かれたマンガも好む方。
今でも衿沢世衣子さんとかこうの史代さんとか大好きだけど、この『星に住む人々』も、そのうちのひとつ。
樹村みのりさんを知ったのは、バックパッカー専門誌『旅行人』であった。
その号の特集が「旅のマンガ」であり、編集長である蔵前仁一さんが『星に住む人々』に収録された「ローマのモザイク」を紹介。
『旅行人』で紹介されていた『ローマのモザイク』の一コマ。
蔵前編集長は子供のころからの樹村みのりファンで、大学生のときにもらったファンレターの返事を「宝物」というほどの「ミノリスト」。
その取り上げ方も力が入っていて、それ以来、気になっていたのだ。
「クラマエくん」がもらったファンレターの返事。こんなん来たら感激ですわな。
ただ当時は古本屋でもなかなか見つからなかったので(そのころは絶版になっていたらしい)、しばらく忘れていたのだが、最近電子書籍で復刊。
読んでみたら、これがすばらしい作品ばかりでガッツポーズ。
「早春」「姉さん」「水の町」「わたしたちの始まり」「星に住む人々」
どれも詩的でありながら、ヒロインの芯の強さとあふれくる自立心など力強さも感じられる。
それが思春期ゆえのプライドや危うさと重なり合って、その「我の強い繊細さ」とでもいうようなアンバランスさに目が離せない。
今回、久しぶりにこういった少女マンガを中心とする、女性向けに書かれたマンガを読んでいて、あらためて感じたのが、その多重性の魔力。
基本的に、私のような男子が親しむ「少年マンガ」は善悪の構造がハッキリし、登場人物の思想や行動は一貫性を持っているもの。
物語にも「正義は勝つ」的カタルシスがあるのがふつうである(もちろん例外も多々だが)。
だが、「少女マンガなど」には、そうでない面も、わりかし散見される。
いや、もちろん「少女マンガなど」にも善悪やカタルシスはあるわけだけど、その部分がもうちょっと掘ってあるというか、なにやら
「一筋縄ではいかない」
という感じがあるのだ。
たとえば、「早春」で主人公が友人と絶交する理由や、「姉さん」で母と妹がぶつかり合ってしまう原因など、最後まで読んでもハッキリと説明はされていない。
そりゃ、ストーリーだけ追えば、どちらも一応「言葉で説明」はできなくもない。
「できる友人にコンプレックスを持ってしまったから」
「姿を見せない父親の姿が見えない影響をもって」
とか、読書感想文レベルの答えなら提示はできる。
しかし、樹村作品をはじめ「少女マンガなど」はときにそういう、安易な回答をゆるしてくれない。読みながらどうにも、
「いや、そんなんだけじゃ、ねえよな」
そう頭をかきながら苦笑いしたくなるような、そこはかとない「深み」を見せてくるのだ。
なにかこう、それこそ思春期のトガッた女の子に、
「その程度で、《わかった》とか思うなよ」
そうじっと見つめられるような、問いかけられているような、そういう感覚をおぼえる。
といっても、それは決して不快というわけではなく、そのザワザワ感こそが坂口安吾が「文学のふるさと」と称したような魅力でもある。
「早春」の主人公はなぜ友人と絶交したのか。
それはなにかハッキリした理由があったのかもしれないし、テクストの裏になにかもっと深いものがあるのかもしれない。
思春期の女子の感情などそもそも「説明」「解釈」など不可能なのかもしれないし、もしかしたら二人には百合ではないが女性同士の「超友情」とでもいうような親密感があったのだろうか。
その「わからない」の正体も、私がスカタンなだけかもしれなければ、「男だから」かもしれない。
もしかしたら男でも「乙女回路」を搭載している男子なら(これは結構いるもんです)、
「え? これが理解でけへんって、マジ?」
と、おどろいてしまうのかもしれない。そういった
「わからなさ」
「わかった気がするけど、それだけじゃないかもしれない感」
「そこをつかめれば、もっとこの作品にどっぷりと淫することができるかもしれないのに、というもどかしさと期待感」
こういった、魂の敏感な部分をくすぐられるような、こそばゆさと、かすかな痛み。
そういったものを、樹村作品ではあますところなく味わうことができる。
私は「女になりたい願望」というのを持ったことがないタイプの男子だが、こういうマンガを読むときだけは「2時間限定」とかで女子になってみたいと思うなあ。