『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』 昭和将棋界のレジェンドの魅力 その2

2018年11月22日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)に続いて『名人に香車を引いた男 升田幸三自伝』の話。

 才能に恵まれた者は、自分の好きな道で生きていけると同時に、どこまでも子供のまま、一時期はやったフレーズで言えば

 「ありのまま」

 というスタイルで生きていけるという特権を持つことができる。

 それはたとえば、升田と木村義雄名人とのある論争などにあらわれている。

 升田幸三のライバルといえば弟弟子大山康晴であるが、先輩格では木村義雄名人であった。

 様々な事情から木村を最大のと見なし、まるで親の仇をねらう素浪人ごとく、執念をもって名人の背後を取ろうとする升田。

 そのふたりが、あることで大激論になったのだ。

 当時の将棋界最強の二人が、大一番の対局後に論を戦わす。

 それはこれからの将棋界の在り方についてか、それとも戦術戦形における読み筋美学のことなのかと問うならば、そのテーマというのが、



 「豆腐は木綿と絹ごしの、どっちの方がうまいか」

 


 知らんがな

 そんなん、その人の好みとしかいいようがないが、これを

 

 「木綿だ」

 「いや、絹ごしだ」

 

 朝までキャンキャンやりあっていたというのだから、なにをやっているのかという話だ。

 名人位を争うふたりが、豆腐で大げんか。まるで子供である。

 今なら、竜王戦の感想戦で羽生善治竜王広瀬章人八段が、

 

 「鍋のシメは雑炊かうどんか」

 

 みたいなことでとっくみあいをはじめるとか、まずありえないわけで、これこそが昭和天才エピソードであろう。

 升田といえば、将棋が強いだけでなく、その独特の創造性も羽生善治竜王をはじめ、棋士やファンにリスペクトされている。

 それにくわえて人間的にもがあり、なおかつ話術もメチャクチャに巧みであった。

 今でいう「キャラ立ちまくり」の人で、読みながら、そら人気も出るわと感心しきりだったが、そんな升田の舌鋒がもっとも発揮されたのが、かの有名なGHQとの



 「将棋とチェスの違い事件」



 大東亜戦争でボロ負けした日本は、剣道柔道など「好戦的」とされるものを、一時、占領軍により禁止の憂き目にあった。
 
 当然、擬似戦争ゲームである将棋もやり玉に挙がり、GHQに呼び出された升田は、米軍将校にこう聞かれる。


 「将棋は取った駒を、自軍の戦力として再利用する。これは捕虜の虐待ではないのか」


 屁理屈というか、はっきりいってただのヤカラであるが、アメリカからすると、ここで将棋界のエースを言いくるめてしまえば、後の仕事がやりやすくなると思ったのであろう。

 ところが、相手は一筋縄ではいかない男であった。

 升田は臆することなくビールをカッパカッパ呑みながら、


 「冗談をいわれては困る。チェスでは取った駒を使わないが、これこそ捕虜虐殺である」

 

 バスっと一発カマすと、

 

 「一方、将棋は駒が全部生きている。能力を尊重し、それぞれに働き場を与えようという思想だ」

 

 さらに続けることには、

 

 

 「しかも敵から登用しても、金なら金、飛車なら飛車と官位も変わらない。これこそが本当の民主主義ではないか」


 理屈である。

 なんだか、日本将棋がずいぶんとかっこよさげだが、一応筋は通っている気がしないでもない。

 まさか敗戦国が反論を、しかもこんなに堂々と返答してくる男がいるなどと思いもつかなかったのであろう米軍将校があっけにとられていると、


 「チェスなんぞ、大将が危なくなったら女を楯にして逃げようとする」


 反撃の一発を繰り出し、


 「おまえらは日本をどうするつもりだ。殺すというなら、おれはどこかの国の飛行機をぶんどってきて、それでおまえらに突っこんでやる


 もう戦争は終わってるのに、なんちゅうことを言うのか。まるで、『魁! 男塾』の江田島平八塾長である。

 こうなってくるともう升田の名調子はとどまることを知らず、最初は「あなた方」と呼びかけていたのが、次第に

 

 「おまえら」

 

 になり、ついには

 

 「おんどれら」

 

 と、どんどん崩れていく。

 通訳があわてて「その、《おんどれら》とはどういう意味か」とたずねると、


 「《おんどれら》とは《大あなたさま》という最大級の敬称だ」


 うそぶき、その場をに巻く。もう言いたい放題

 とどめには木村義雄名人の名前を出し、


 「戦争中はあの男が海軍大学などを講演して回ったが、おかげで日本は負けた。オレが代わりにやってたら、日本は勝っていた。おんどれらにとっちゃ、あの男は大恩人だぞ」


 大嫌いな最大最強のライバルをディスって終了。

 最後はブランデーのおみやげも断って(ホントは超ほしかったらしい)颯爽と帰宅。

 このとんち、じゃなかった見事な演説が効いてか、戦後の混乱期も日本将棋界は再出発をゆるされることとなるのである。

 こんな痛快なエピソードが、調子の良い升田節で語られる本書は、なんとも愉快。

 そのまんま、少年マンガの原作になりそうな話がゴロゴロ出てくる。

 ちょっと元気がないときなどに読むと、てきめん効果があると思われる。オススメです。




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