前回(→こちら)の続き。
これからがんばって映画ファンになろうという青年たちに、『ダイ・ハード』『スティング』といった、はずれようのない古典的名作とともに、
「それと、忘れずに『シベリア超特急』も観ておくように」
そうアドバイスする、元映画青年の私。
というと、映画ファンからは
「おいおい、なんで『シベ超』やねん! もっとちゃんとした映画を教えたれよ」
と、まっとうなつっこみを受けそうだが、私だって伊達や酔狂で薦めているわけではない。
これは、ある友人の実体験からきている極めて真摯なアドバイスであり、今からそれを説明したい。
友人ヒラカタ君は若いころから無趣味な男であった。そこで
「なにか余暇を充実させられるアイテムはないか」
そう思案した上で、「よし、映画を観よう」と考えた。
そこで映画館やレンタルビデオ店をまわって、あれこれと観てみたのだが、そこで友は首をかしげることとなる。
「うーん、なんか、どれもあんまし、おもんないやん」。
名前を出すと、それで感動したという人がいらっしゃったりしたら気まずくなるのでここでは避けるけど、友が観たのは、当時テレビでCMをガンガン打っていた「全米大ヒット」みたいな話題作。
もしくは、「声を上げて泣きました」みたいな、難病ものとか純愛ものの邦画だった。
それが、どうもいまひとつピンとこない。
「金返せ!」と言いたくなるような駄作も多いし、そこまでいかなくても、「そこまでの話かいな」「映画館やなくて、テレビで見て十分やな」といったレベルのものがほとんどだ。
すれた映画ファンならそこは、
「全米大ヒットなんて、あんなん言うたもん勝ちで中身はともなってるとも限らんし」
「邦画バブルで作られた安い映画に金払うとかアホやな。あんなん、イケメン俳優と主演アイドルのビジュアル目当てのファンが行くもんや」
なーんてすましているところかもしれなが、まだ銀幕ビギナーであったヒラカタ君はこう考えたのだ。
「この映画を《つまらない》と思うなんて、オレの読解力が足りないんかなあ」。
同じく「これを泣けないオレは感受性が乏しいんかなあ」とも。
もちろん、そんなことはない。
ある映画を観てつまらなかったり泣けなかったりしても、その理由は別に感性や理解力ではなく(まあ、時にはそういうこともありますが)、たいていは普通に「つまらないから」「泣けないから」なのである。
もしくはせいぜいが「好みに合わなかった」。ところが、当時のヒラカタ君はまだ映画経験値が低かったので、ついつい
「オレが悪いんか……」
と、そっち方面に思考がシフトしてしまったのだ。
この気持ちは分からなくもない。
みなさまも、あるのではなかろうか。たとえば、今や国民的アニメスタジオともいえるスタジオジブリの『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』を観て、
「ヤバい……オレには全然ハマれへん……どう見ても脚本が破綻してるし、全体的に意味不明やし、これ、そんなにおもろいんやろか……」
そう疑問に感じながらも、ものが大ヒット作品ということで、引け目を感じてそう素直に言えないこと。
そんなん言うたら、バカにされるんちゃうかという、ある種の権威主義的な不安。
このときの罪悪感のような心持ちに、ヒラカタ君もまた悩まされたのである。
そのコンプレクッスを解消してくれたのが、なにを隠そう『シベリア超特急』なのだというから、まったく人生というのは摩訶不思議なものと言わざるを得ない。
(続く→こちら)
これからがんばって映画ファンになろうという青年たちに、『ダイ・ハード』『スティング』といった、はずれようのない古典的名作とともに、
「それと、忘れずに『シベリア超特急』も観ておくように」
そうアドバイスする、元映画青年の私。
というと、映画ファンからは
「おいおい、なんで『シベ超』やねん! もっとちゃんとした映画を教えたれよ」
と、まっとうなつっこみを受けそうだが、私だって伊達や酔狂で薦めているわけではない。
これは、ある友人の実体験からきている極めて真摯なアドバイスであり、今からそれを説明したい。
友人ヒラカタ君は若いころから無趣味な男であった。そこで
「なにか余暇を充実させられるアイテムはないか」
そう思案した上で、「よし、映画を観よう」と考えた。
そこで映画館やレンタルビデオ店をまわって、あれこれと観てみたのだが、そこで友は首をかしげることとなる。
「うーん、なんか、どれもあんまし、おもんないやん」。
名前を出すと、それで感動したという人がいらっしゃったりしたら気まずくなるのでここでは避けるけど、友が観たのは、当時テレビでCMをガンガン打っていた「全米大ヒット」みたいな話題作。
もしくは、「声を上げて泣きました」みたいな、難病ものとか純愛ものの邦画だった。
それが、どうもいまひとつピンとこない。
「金返せ!」と言いたくなるような駄作も多いし、そこまでいかなくても、「そこまでの話かいな」「映画館やなくて、テレビで見て十分やな」といったレベルのものがほとんどだ。
すれた映画ファンならそこは、
「全米大ヒットなんて、あんなん言うたもん勝ちで中身はともなってるとも限らんし」
「邦画バブルで作られた安い映画に金払うとかアホやな。あんなん、イケメン俳優と主演アイドルのビジュアル目当てのファンが行くもんや」
なーんてすましているところかもしれなが、まだ銀幕ビギナーであったヒラカタ君はこう考えたのだ。
「この映画を《つまらない》と思うなんて、オレの読解力が足りないんかなあ」。
同じく「これを泣けないオレは感受性が乏しいんかなあ」とも。
もちろん、そんなことはない。
ある映画を観てつまらなかったり泣けなかったりしても、その理由は別に感性や理解力ではなく(まあ、時にはそういうこともありますが)、たいていは普通に「つまらないから」「泣けないから」なのである。
もしくはせいぜいが「好みに合わなかった」。ところが、当時のヒラカタ君はまだ映画経験値が低かったので、ついつい
「オレが悪いんか……」
と、そっち方面に思考がシフトしてしまったのだ。
この気持ちは分からなくもない。
みなさまも、あるのではなかろうか。たとえば、今や国民的アニメスタジオともいえるスタジオジブリの『ハウルの動く城』や『崖の上のポニョ』を観て、
「ヤバい……オレには全然ハマれへん……どう見ても脚本が破綻してるし、全体的に意味不明やし、これ、そんなにおもろいんやろか……」
そう疑問に感じながらも、ものが大ヒット作品ということで、引け目を感じてそう素直に言えないこと。
そんなん言うたら、バカにされるんちゃうかという、ある種の権威主義的な不安。
このときの罪悪感のような心持ちに、ヒラカタ君もまた悩まされたのである。
そのコンプレクッスを解消してくれたのが、なにを隠そう『シベリア超特急』なのだというから、まったく人生というのは摩訶不思議なものと言わざるを得ない。
(続く→こちら)