前回(→こちら)に続いてトム・スタンデージ『謎のチェス指し人形「ターク」』を取り上げる。
いかにもインチキくさい「チェスを指す人形」だが、これが後世に残した足跡は、なにげに計り知れなく大きい。
ひとつは「コンピュータ、将棋や碁で人間に勝つ」という歴史的出来事のスタート地点となったのが、この人形だったこと。
そしてもうひとつは、「ミステリ小説とは、ここから生まれた」という事実だ。
チェス指し人形「ターク」には、あまたの知識人が「トリックだ」「いや本物だ」と、その謎とカラクリを解こうと知恵をしぼったが、その中の一人に、こんな偉大な男がいた。
その名はエドガー・アラン・ポー。
ご存じアメリカの文豪であり、ミステリファンにとっては「探偵小説の祖」でおなじみの人。
その幻想的な作風は、ミステリのみならず、ゴシックホラーからSF、果ては『ポーの一族』など少女漫画などにも多大な影響をあたえた、いわば文学界にとって、神さまのような存在である。
そんなポーは、「メルツェルのチェスプレイヤー」というエッセイで、アメリカ巡業中の「ターク」ついて言及している。
そして、このエッセイこそが近代ミステリの第一歩になるというのだから、やはり歴史とはわからないものだ。
ポーはメルツェルの展示会に足げく通い、丁寧に観察し、そこに独自の推理をまじえて「ターク」の正体に肉薄していく。
謎を提示し、あやしげな証拠の数々を列記し、観察と論理を駆使して、あたかも教師が語るような文語調の口振りで、この「チェス指し人形」について語るのだ。
と、ここまで言えば、ポーの推理が何につながっていくかわかるだろう。
そう、世界で初めて登場した名探偵オーギュスト・デュパンの原型がここに生まれるのだ。
世界最初のミステリといわれる、『モルグ街の殺人』は、おそらくはこのときの思考過程を資料として生かし、書かれたもの。
もちろん、『モルグ街』と「ターク」の件はまったく関係のない事件だが、
「名探偵の推理パターン」
の雛形を対「ターク」とのやり取りから抜き出したであろうことは想像に難くない。実際、ポーはデュパンのモデルが自分であることを認めているという。
なんということか。かの機械人形は謎解きの魅力のみならず、それ自体が推理小説という新たなジャンルを生み出すことにもなった存在なのだから。
すべてはここからはじまった。前回言った、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」のごとく、まさに「いかさまチェス指し人形なくしてシャーロック・ホームズなし」。
もし、「ターク」の活躍がなければ、ベネディクト・カンバーバッチがスターダムにのぼり詰めるのは、今とまったく違った形になっていただろう。
あともうひとつ、この本を読んで、ひとつ謎が解けたことがあった。
デュパンのデビュー作である『モルグ街の殺人』で気になるシーンがあり、冒頭部でデュパンがチェスをめちゃくちゃにディスりまくる長セリフがあるのだ。
「チェスプレーヤーは計算はするが、分析しようとはしない」
「知的活動に影響あるとかいわれっけど、ぶっちゃけそれウソ」
とか、果ては「たわいない」「意味ない」「チェッカーの方が全然頭脳の訓練にいいし」なんて、悪口いいまくりなのだ。
しかもそれが、文脈全然関係なくてものすごく唐突に出てくるから、ポーのチェス嫌いもここにきわまれり。
文庫本でまるまる1ページくらい、ずーっと言ってんの。どんだけ悪態つけば気がすむんや、ホンマ。
これについて、作家の奥泉光さんは、
「ポーはきっとチェスが弱かったにちがいない」
と分析しているのだが、私が推測するにポーはタークの調査を進める段階で当然チェスも指しただろうから、たぶんそこでボッコボコに負かされて、そんで「チェスなんて意味ない!」ってスネてるんやないでしょうか(笑)。
いかにもインチキくさい「チェスを指す人形」だが、これが後世に残した足跡は、なにげに計り知れなく大きい。
ひとつは「コンピュータ、将棋や碁で人間に勝つ」という歴史的出来事のスタート地点となったのが、この人形だったこと。
そしてもうひとつは、「ミステリ小説とは、ここから生まれた」という事実だ。
チェス指し人形「ターク」には、あまたの知識人が「トリックだ」「いや本物だ」と、その謎とカラクリを解こうと知恵をしぼったが、その中の一人に、こんな偉大な男がいた。
その名はエドガー・アラン・ポー。
ご存じアメリカの文豪であり、ミステリファンにとっては「探偵小説の祖」でおなじみの人。
その幻想的な作風は、ミステリのみならず、ゴシックホラーからSF、果ては『ポーの一族』など少女漫画などにも多大な影響をあたえた、いわば文学界にとって、神さまのような存在である。
そんなポーは、「メルツェルのチェスプレイヤー」というエッセイで、アメリカ巡業中の「ターク」ついて言及している。
そして、このエッセイこそが近代ミステリの第一歩になるというのだから、やはり歴史とはわからないものだ。
ポーはメルツェルの展示会に足げく通い、丁寧に観察し、そこに独自の推理をまじえて「ターク」の正体に肉薄していく。
謎を提示し、あやしげな証拠の数々を列記し、観察と論理を駆使して、あたかも教師が語るような文語調の口振りで、この「チェス指し人形」について語るのだ。
と、ここまで言えば、ポーの推理が何につながっていくかわかるだろう。
そう、世界で初めて登場した名探偵オーギュスト・デュパンの原型がここに生まれるのだ。
世界最初のミステリといわれる、『モルグ街の殺人』は、おそらくはこのときの思考過程を資料として生かし、書かれたもの。
もちろん、『モルグ街』と「ターク」の件はまったく関係のない事件だが、
「名探偵の推理パターン」
の雛形を対「ターク」とのやり取りから抜き出したであろうことは想像に難くない。実際、ポーはデュパンのモデルが自分であることを認めているという。
なんということか。かの機械人形は謎解きの魅力のみならず、それ自体が推理小説という新たなジャンルを生み出すことにもなった存在なのだから。
すべてはここからはじまった。前回言った、「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」のごとく、まさに「いかさまチェス指し人形なくしてシャーロック・ホームズなし」。
もし、「ターク」の活躍がなければ、ベネディクト・カンバーバッチがスターダムにのぼり詰めるのは、今とまったく違った形になっていただろう。
あともうひとつ、この本を読んで、ひとつ謎が解けたことがあった。
デュパンのデビュー作である『モルグ街の殺人』で気になるシーンがあり、冒頭部でデュパンがチェスをめちゃくちゃにディスりまくる長セリフがあるのだ。
「チェスプレーヤーは計算はするが、分析しようとはしない」
「知的活動に影響あるとかいわれっけど、ぶっちゃけそれウソ」
とか、果ては「たわいない」「意味ない」「チェッカーの方が全然頭脳の訓練にいいし」なんて、悪口いいまくりなのだ。
しかもそれが、文脈全然関係なくてものすごく唐突に出てくるから、ポーのチェス嫌いもここにきわまれり。
文庫本でまるまる1ページくらい、ずーっと言ってんの。どんだけ悪態つけば気がすむんや、ホンマ。
これについて、作家の奥泉光さんは、
「ポーはきっとチェスが弱かったにちがいない」
と分析しているのだが、私が推測するにポーはタークの調査を進める段階で当然チェスも指しただろうから、たぶんそこでボッコボコに負かされて、そんで「チェスなんて意味ない!」ってスネてるんやないでしょうか(笑)。