前回(→こちら)の続き。
大学受験日当日、旺文社の罠(?)にかかって試験開始までギリギリ単語やイディオムを復習する受験生たちの中で、ひとり赤塚不二夫のギャグマンガ『大バカ探偵はくち小五郎』を読んで浮きまくっている大バカ三太郎な私。
なんだこれは、
「試験前はジタバタせずリラックス」
なのではないのか。
これではまるで、ヤクルト時代の野村克也監督がID野球の高度な理論を語っている中、ひとりマンガを読んでいた長嶋一茂と同じシチュエーションではないのか。「受験生」「浪人生」というストイックな響きの存在でなく、ただのスットコ野郎ではないのか。
これはいかん。私はすぐさまマンガをカバンに戻した。自分がアホなのは生まれつきだが、それを周囲に悟られるのはマズイ。
勝負の世界はなめられたら終わりなのだ。まわりの受験生が見て、
「なんや、オレのライバルはアホばっかりか」
なんて思われたら、えらくリラックスされて、試験でも力を発揮されるかもしれない。それはいかん。
マンガなら、せめて『ベルサイユのばら』とか『あさきゆめみし』とか受験にも活用できるマンガを持ってこなかったのかと深く後悔したのである。
ではどうするのか。試験開始まではまだ時間はある。その間、することがない。
参考書でも読んでいればいいのであろうが、旺文社の罠(だから違うって)のおかげで私は単語帳やその種のものを持ってきていなかったのだ。
かといってひとり所在なげにしているとヒマである。その上、することがないと不安や妄想が自然にわきあがってきて、どんどん緊張してくる。
こういったときどう一息つけばいいのか。平時なら「コーヒーを飲む」「気付けに一杯やる」「ヒロポンを打つ」などが考えられるが、受験会場ではそうもいかない。困った、それにつれてどんどん精神状態が悪くなってきた。
だが本番で沈んではいられない。当初の戦略が功を奏しなければ素早く転進するのが戦の掟である。
そこではたと思いついた。
気を落ち着けるために瞑想をするというのはどうか。
これなら心の中から不安を払い、集中力を高めることができるだろう。おまけに、道具もいらない。メンタルはコントロールできるのだと、囲碁の伊角慎一郎初段も語っている。
そこでまず肩の力を抜くべく、軽く深呼吸する。すって、はいて、すって、はいて、すって……うん、いい感じだ。
次に目を閉じ、呼吸によって上下するお腹のあたりに意識を向ける。深呼吸を深くし、頭の中の雑念を取り払う。落ち着くのだ、焦ってはいけない、自分はできるのだ、そういったポジティブな言葉を並べる。
イメージトレーニングというやつだ。できれば座禅のポーズなどを組みたいところであるが、目立つ上に集中しすぎて空中浮遊などしてしまうのも困る。蓮華座は断念で、胸の前で手を組むだけにしておいた。
そして自分が合格した様を思い浮かべる。合否を告げる掲示板の前で「やった、受かった!」とよろこんでいる姿を想像する。
できる。落ち着け。これまでやったことをすべて出し切れば、落ちるなんてことはない。できる、できる、オレはできる。
いい感じだ。テニスの松岡修造さんなら「この場面、彼集中してますよ」と解説してくれたことだろう。
そうしてコンセントレーションが最高潮に達した瞬間、「では試験開始です」という声が響いた。
破裂寸前の風船のごとくテンションの高まっていた私はその声にかっと目を見開くと、シャーペンを手に取り、指も折れよという勢いで、まずは自分の名前と受験番号をゆっくり丁寧に記入した。これを忘れては意味がない。
そこからは怒濤の進撃であった。ひとり安らかに待つのが結果的にはよかったらしい。
私は快調に答案用紙の空欄を埋めていった。リズム良く長文を読み進め、設問を解読し、次々と、それこそ庖丁人がキャベツを素早く切り刻んでいくかのごとく回答欄に答えを記入していった。
回答欄をすべて埋め、すりきれるほど何度も何度も見直しをしていると、やがて試験時間が終わった。思わずため息が出た。長いようで短い時間だった。
よかった。アホはさらしたが、とりあえず全力を出して戦うことはできた。見事なリカバリーショット。やはり私はただ者ではない。
ところがここに、驚異の集中力のツケが回ってくることを、誰が予想しただろうか。
解答用紙を試験官に提出し、さてお昼でも食べに行こうかなと腰を上げたところである。「あのー、すみません」と、後ろから、背中を指でつつかれた。
なんじゃいなと振り向くと、それは後ろの席に座っていた青年なのであった。唐突なことに、
「いい質問だ。でもはっきり言ってね、僕は腹が減っているのさ」
などと、なぜか村上春樹口調でそう答えると、彼は申し訳なさそうな声で言った。
「すいませんけど、貧乏ゆすりやめてもらえませんか」
とたんに頭が春樹からしらふに戻った。ガーン!!である。
私は瞑想をし、周囲の雑音を遮断することによって集中を高めたのだが、それによって自分が出していた雑音をも耳から遠ざけていたのだった。
それゆえ、自分がカタカタいっていたことに、まったく気がつかなかった。集中するのは大事だが、あまり周囲が見えなくなるのも考え物である。
嗚呼、試験中に貧乏ゆすりとは、なんてはた迷惑な。これは今でも反省してます。受験生のみんなも、気をつけてね。
大学受験日当日、旺文社の罠(?)にかかって試験開始までギリギリ単語やイディオムを復習する受験生たちの中で、ひとり赤塚不二夫のギャグマンガ『大バカ探偵はくち小五郎』を読んで浮きまくっている大バカ三太郎な私。
なんだこれは、
「試験前はジタバタせずリラックス」
なのではないのか。
これではまるで、ヤクルト時代の野村克也監督がID野球の高度な理論を語っている中、ひとりマンガを読んでいた長嶋一茂と同じシチュエーションではないのか。「受験生」「浪人生」というストイックな響きの存在でなく、ただのスットコ野郎ではないのか。
これはいかん。私はすぐさまマンガをカバンに戻した。自分がアホなのは生まれつきだが、それを周囲に悟られるのはマズイ。
勝負の世界はなめられたら終わりなのだ。まわりの受験生が見て、
「なんや、オレのライバルはアホばっかりか」
なんて思われたら、えらくリラックスされて、試験でも力を発揮されるかもしれない。それはいかん。
マンガなら、せめて『ベルサイユのばら』とか『あさきゆめみし』とか受験にも活用できるマンガを持ってこなかったのかと深く後悔したのである。
ではどうするのか。試験開始まではまだ時間はある。その間、することがない。
参考書でも読んでいればいいのであろうが、旺文社の罠(だから違うって)のおかげで私は単語帳やその種のものを持ってきていなかったのだ。
かといってひとり所在なげにしているとヒマである。その上、することがないと不安や妄想が自然にわきあがってきて、どんどん緊張してくる。
こういったときどう一息つけばいいのか。平時なら「コーヒーを飲む」「気付けに一杯やる」「ヒロポンを打つ」などが考えられるが、受験会場ではそうもいかない。困った、それにつれてどんどん精神状態が悪くなってきた。
だが本番で沈んではいられない。当初の戦略が功を奏しなければ素早く転進するのが戦の掟である。
そこではたと思いついた。
気を落ち着けるために瞑想をするというのはどうか。
これなら心の中から不安を払い、集中力を高めることができるだろう。おまけに、道具もいらない。メンタルはコントロールできるのだと、囲碁の伊角慎一郎初段も語っている。
そこでまず肩の力を抜くべく、軽く深呼吸する。すって、はいて、すって、はいて、すって……うん、いい感じだ。
次に目を閉じ、呼吸によって上下するお腹のあたりに意識を向ける。深呼吸を深くし、頭の中の雑念を取り払う。落ち着くのだ、焦ってはいけない、自分はできるのだ、そういったポジティブな言葉を並べる。
イメージトレーニングというやつだ。できれば座禅のポーズなどを組みたいところであるが、目立つ上に集中しすぎて空中浮遊などしてしまうのも困る。蓮華座は断念で、胸の前で手を組むだけにしておいた。
そして自分が合格した様を思い浮かべる。合否を告げる掲示板の前で「やった、受かった!」とよろこんでいる姿を想像する。
できる。落ち着け。これまでやったことをすべて出し切れば、落ちるなんてことはない。できる、できる、オレはできる。
いい感じだ。テニスの松岡修造さんなら「この場面、彼集中してますよ」と解説してくれたことだろう。
そうしてコンセントレーションが最高潮に達した瞬間、「では試験開始です」という声が響いた。
破裂寸前の風船のごとくテンションの高まっていた私はその声にかっと目を見開くと、シャーペンを手に取り、指も折れよという勢いで、まずは自分の名前と受験番号をゆっくり丁寧に記入した。これを忘れては意味がない。
そこからは怒濤の進撃であった。ひとり安らかに待つのが結果的にはよかったらしい。
私は快調に答案用紙の空欄を埋めていった。リズム良く長文を読み進め、設問を解読し、次々と、それこそ庖丁人がキャベツを素早く切り刻んでいくかのごとく回答欄に答えを記入していった。
回答欄をすべて埋め、すりきれるほど何度も何度も見直しをしていると、やがて試験時間が終わった。思わずため息が出た。長いようで短い時間だった。
よかった。アホはさらしたが、とりあえず全力を出して戦うことはできた。見事なリカバリーショット。やはり私はただ者ではない。
ところがここに、驚異の集中力のツケが回ってくることを、誰が予想しただろうか。
解答用紙を試験官に提出し、さてお昼でも食べに行こうかなと腰を上げたところである。「あのー、すみません」と、後ろから、背中を指でつつかれた。
なんじゃいなと振り向くと、それは後ろの席に座っていた青年なのであった。唐突なことに、
「いい質問だ。でもはっきり言ってね、僕は腹が減っているのさ」
などと、なぜか村上春樹口調でそう答えると、彼は申し訳なさそうな声で言った。
「すいませんけど、貧乏ゆすりやめてもらえませんか」
とたんに頭が春樹からしらふに戻った。ガーン!!である。
私は瞑想をし、周囲の雑音を遮断することによって集中を高めたのだが、それによって自分が出していた雑音をも耳から遠ざけていたのだった。
それゆえ、自分がカタカタいっていたことに、まったく気がつかなかった。集中するのは大事だが、あまり周囲が見えなくなるのも考え物である。
嗚呼、試験中に貧乏ゆすりとは、なんてはた迷惑な。これは今でも反省してます。受験生のみんなも、気をつけてね。