影との闘い 島朗vs米長邦雄 1988年 第1期竜王戦 その2

2023年09月25日 | 将棋・雑談

 「永瀬王座が、和服を着てるやん」

 

 ということで、前回に続いてタイトル戦ドレスコードのお話。

 1988年の第1期竜王戦決勝七番勝負で顔を合わせた米長邦雄九段島朗六段

 4連勝初タイトルを獲得したのもさることながら、このときの島は全局に、和服でなく高級スーツという出で立ちで登場し、周囲をおどろかせる。

 

 

 

 

 

 

 さらには空き時間にプールで泳ぎ、プレッシャーのかかるはずの1日目にはナンパした女子アナとデートなど、従来の「古風」な将棋界では考えられない行動を披露。

 今のようにSNSがあったら賛否両論かまびすしかったろうが、当時はあまりに悪びれず、あっけらかんとした島の様子に関係者やファンも戸惑ったのではあるまいか。

 シリーズが偏ったスコアで終わったのは、もちろん島の実力と若さの勢い(当時24歳)もあるだろうが、それと同時にこの新しいスタイルに、ベテラン米長がフォームをくずしてしまったことも敗因として挙げられた。

 その乱れは「伝統」を無視したような、しかも若輩者であるはずの島の行動をおもしろくなく思い、かといって別にルール違反でもないし、島自体に落ち度もないから文句はつけられない。

 けど、やっぱり「なんか、ちょっと違う気がする……」というモヤモヤした思いはあって、その微妙なメンタルの加減が将棋にも直結してしまう。

 こういうかみ合わなさをどう対処するかは、盤上だけでない、もうひとつの戦いだろう。

 米長に鬱屈があったのは、こちらもまたアルマーニのスーツを用意していたことからも見てとれる。

 相振り飛車を指す振り飛車党のキメ台詞に

 

 「アイツが振るならオレも振る」

 

 というのがあるが、これもまさに、オレもセビルロー。思いもかけないところで、Mee too運動だ。

 島がいつものようにスーツ姿で出てきたところ、自分もそれに負けない「さりげない大人の着こなし」で対抗。

 

 「島君、本当の高級スーツはこう着るんだ。キミはまだ【着られてる】段階だね」

 

 若造にガツンとカマし、相手がおどろいたり、ひるんだりしたところに

 

 「さあ、対局を開始しようじゃないか」

 

 余裕とをふくんだ笑顔で場の空気感を変え、主導権を奪い返す。それくらいの心づもりだったのだろう。

 

 「この勝負の主役はお前じゃなく、このオレ、米長邦雄なんだぞ」

 

 こうなれば、盤上盤外ともに大いに盛り上がったはずで、ぜひその一触即発な様子は見てみたかったが、米長は結局それには袖を通さず和服で戦った。
 
 一見、豪快に見えてその実、周囲の空気に敏感なタイプの米長は、意外とそういう「反逆」的なことはできないタイプなのだ。
 
 ある意味「気合い負け」をしていたとも言えるわけで、米長とも仲の良かった河口俊彦八段が好んだ書き方を借りれば、
 
 
 「ここでスーツを着て登場できなかった時点で、米長の負けは決まっていたのだ」
 
 
 この島の行動には批判もあった。
 
 島の書くところによると、大盤解説を担当した中堅棋士が、
 
 
 


 「みなさん、両者の服装を見ましたか。羽織袴の正装の米長九段。さずがベテランらしい、堂々の着こなしです。
 
 それに引きかえ島六段の、たいして高そうもない、コール天のよれよれに、あの変わった靴。ふだん着そのもので……」


 

 結構、ヒドイこと言うてはります。

 まあこの棋士も、「伝統」に従わないことによっぽど腹が立ったのだろうが、あんまりな言い草ではある。今なら間違いなく炎上であろう。

 もっとも逆に言えば、米長自身がこの棋士のように心の底から島のいで立ちを「コール天のよれよれ」に見えていたとしたら、あんな大差で負けることはなかったのかもしれない。

 そういった逆風があっても、我が道を行った島は実に図太かった。

 と言うと、なんだか島がチャラチャラした遊び人か、空気を読まない困った男のようだが、そういうことではない。

 島と仲が良く、兄貴分と慕う先崎学九段による『週刊文春』のエッセイでは、それは多分にマスコミによって作られたイメージであると。

 実際のところの島は、むしろ古風で、周囲に気遣いを欠かさない繊細なタイプであると(ついでに言えば麻雀牌を河に流したり土に埋めたりする、かなりの「変人」らしい)。

 また将棋に関しても、A級順位戦で何度も降級のピンチをしのぎ、しぶとく残留する島から、戦いのさなかに泣き言グチを一切聞いたことがないことを取り上げて、

 

 「プロ中のプロ」

 

 そう賞賛した。

 なんとなくではあるが、悪気なく「天然」で内藤國雄中原誠を困惑させた、高橋道雄中村修とは違い、おそらく島はかなり「意図的」に衣装を選んでいたように思える。

 ただ、当時からいろいろ書かれたり、本人もあれこれ語ったりしてるけど、この「スーツ事件」は結局のところ、七番勝負にのぞむにあたって、
 
 
 
 ベストの将棋を指すために、自分のスタイルを絶対にくずさない。
 
 
 というシンプルな、島の立場からすれば、当たり前の上にも当たり前な意思表示にすぎなかったのだろう。

 その意味では、今回の永瀬王座も、もし本当にスーツがいいなら、それを押し通すべきだったかもしれない。

 ルールで決めたかなんか知らんが、今の王座がだれか皆わかってるの? オレやで、と。
 
 人によっては
 
 
 「わがまま」
 
 「空気を読まない」
 
 「人間が小さい」
 
 
 と取られるかもしれないが、ここで変に飲みこんで憤懣をためてしまうのは、間違いなくマイナスである。あのころの米長邦雄のように。
 
 温厚なイメージのある深浦康市九段藤井猛九段といった人たちも、大きな勝負で「言いたいこと」があるときは強くを通すシーンもあったと、インタビューなどで語ったりしている。
 
 だから、もし今期の王座戦がフルセットにもつれこみ、そこで永瀬が、
 
 
 「やはり和服では力が出せない。最終局は自分の着たい服で指させてくれ」
 
 
 なんて主張したら、今回は「八冠王待ち」な私でも、そこに関しては永瀬を支持したいと思っている。

 

 


 (竜王時代の島と羽生の大熱戦はこちら

 (島が羽生相手の防衛戦で見せた名局はこちら

 (その他の将棋記事はこちらからどうぞ)

 

 


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