goo blog サービス終了のお知らせ 

菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

第72回解放運動無名戦士合葬追悼会に参加 その3

2019年03月18日 22時22分19秒 | 議員活動
 全国からきた参加者はこれで終わりとなったのですが、茨城県はそうは行きません。上野駅のレストランで懇親会です。私は当初参加する予定はなかったのですが、合葬者の遺族が参加するのに、地元の人が不参加では困る。話をしてもらう予定者にはいっていることで、参加することにしました。
 
 おとなりの群馬県は合葬者が10人もいるのに、参加者は2名です。茨城県は、赤塚十四一さんだけで遺族4人+菊池で、5人ですから、いい雰囲気ですから、参加しないわけにはいきません。また、遺族代表であいさつしたのは茨城県と岡山県の2人でした。茨城県の代表は、鈴木民也さんの奥さんです。鈴木民也さんは、古河一高でながく社会科の先生として、教職員組合運動でがんばって来た方で、私とも親しかった方です。

また、笠間市からは、多崎貞夫氏と田中詔氏が合葬されていました。多崎さんは、元小学校の先生で、鉾田町議選で、中山尚治氏の選挙の応援にいったとき知り合いになりました。その後、絵の大好きな多崎氏は、笠間市に移り住み、福田の産廃処分場建設反対運動で一緒に頑張った仲間となりました。

 田中詔さんは、笠間市福原の柊坂の上に風変わりな一軒家を建てた一級建築士です。田中さんも産廃処分場反対運動で仲良くなりました。私の選挙のときは、1回目、2回目と候補者カーの運転手をしていただきましたが、3回目の運転手はお願いできませんでした。

 そんなわけで、上野駅すぐ脇のレストランで、懇親会に参加してきました。初めて名前を聞く人もいましたから、いろいろ勉強になりました。懇親会が楽しくできるというのも、遺族を励ます意味でも、また、遺族から励まされる意味でも、大事なことだと知った次第です。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第72回解放運動無名戦士合葬追悼会に参加 その2

2019年03月18日 21時56分19秒 | 議員活動
今日は、1057人の人が合葬されるとあって、遺族など関係者でいっぱいです。式場も入りきれず、2カ所に分かれての式典です。

この写真は、追悼式後、無名戦士の墓に納められるる、1057人の名前と経歴をを刻んだ銅板です。
 

壇上には上がれませんでしたので、赤塚十四一さんの名前が刻まれた版のレプリカです。
 右半分は福島県の方。左半分が茨城県の方です。50音順ですので、赤塚十四一さんは茨城県の一番目です。




 式典が始まる前、故・赤塚十四一さんの遺影をだいて記念写真です。



 式典は午後1時から始まりました
 開会演奏は、中央合唱団の「弔いの歌」から始まりました。
 主催者あいさつのあと、「新合葬者紹介」です。
 ことし新たに合葬される1057人が読み上げられました。なんだか、教壇で出席をとっていることを思い出していました。とにかく40分はかかりました。

 その後、中央合唱団の追悼の歌「いのちのかぎり」
  歌詞とメロディーがとても気にいったので、紹介します。

 

1 命のかぎり あなたは歩きつづけた
  荒野の中を あなたは歩きつづけた
  貧しさや孤独に たじろぐことなく
  美しい夢を かかげ歩いた道(に)
  自由と平和の 花々を咲かせた


2 命のかぎり あなたは歩きつづけた
  吹雪をついて あなたはうたいつづけた
  この世の愚かさに 背をむけることなく
  くもらぬ瞳で 見上げうたった空(に)
  自由にはばたく 鳥たちのうたごえ



3 未来を信じ あなたは歩きつづけた
  真実かたく守って あなたは歩きつづけた
  くる日もくる日も 心もやして
  美しい希いを つらぬき歩いた道(に)
  自由と解放の道標 刻んだ


 この歌は気に入ったので、私の葬儀の曲の候補の1つとしたいと考えました。

 その後、追悼の辞を日本共産党、全労連、日本婦団連の代表が述べました。

 最後の行事が、墓前祭です。
 青山墓地に「無名戦士の墓」があります。

 ここに1人1花を献花して、終わりました。
 
  
  
 
 
  
 
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第72回解放運動無名戦士合葬追悼会に参加 その1

2019年03月18日 21時22分42秒 | 議員活動
 今日は、第72回解放運動無名戦士合葬追悼会の日です。この式典は、世界ではじめて労働者の手で権力を打ち立てた1871年のパリ・コンミューンの記念日にあたる3月18日に、青山葬儀所でおこなわれています。
 今回、桜川市真壁町亀熊で昨年9月逝去された赤塚十四一さんが、合葬されることになり、長男さんら4人と一緒に、参加してまいりました。

 赤塚十四一さんは、結城市でうまれ、若いとき埼玉県大宮市で鉄道工場で働いていましたが、レッド・パージにあい、職場を辞めさせられ、茨城に帰ってきました。持ち前の「鉄加工の技術」を生かした仕事をするため、真壁町に居をかまえ、石材業者のための仕事をしてきました。
 その間、初心を忘れることなく、真壁町の共産党の前進に貢献してきました。一時期でしたが、共産党2議席誕生は、赤塚十四一さんの縁の下の貢献がなかったら、実現できませんでした。そのご、真壁町に共産党の議席がなくなっても、節を曲げることなく、赤旗新聞の配達・集金で貢献してまいりました。実に70年以上のわたって、社会進歩のために活動してきました。
 
 私が昭和44年、真壁高校に赴任した当初から、「こんな誠実な人がいるのか」と思うほどの頑張り屋さんでした。私が、真壁高校をはなれたあとも、交流は続きました。私にとっては、「本当の献身」という姿を、身をもって教えてくださった方です。

 そんなわけで、私は9時30分発の水戸線で小山へ向って出かけました。まず、はじめの失敗は、青山葬儀所への行き方をきちんと確認しておかなかったことです。「地下鉄丸ノ内線にのる」ことだけを覚えていたので、新宿東京ラインの逗子行きに乗って、新宿駅に止まったとき、「丸ノ内線に乗り換え」のアナウンスが耳に聞こえたので、降りてしまったのです。ここで困ったのは、丸ノ内線の入り口がまったく分からないのです。そもそも新宿駅のどこにいるかが分からないのだから、どうしようもありません。2人もの人にきいて、丸の内線に乗ることができました。

 なんとか、丸ノ内線で国会議事堂駅に着き、千代田線にのりかえ、乃木坂駅に着きました。ここでまた間違えてしまったのです。5番出口をでなければならないのに、3番出口にでてしまったのです。もう一度、駅へもどり、出直しです。そんなわけで、お昼を食べることもできず、式典にさんかすることになったのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防衛大学校卒業式の三題話

2019年03月18日 07時52分37秒 | 日々の雑感
 昨日は神奈川県横須賀市の防衛大学校の卒業式があったとのことです。そこで、いろいろな新聞記事を探して見ますと三題話ができましたので紹介します。

 まずは、「いい話」
 防衛大学校卒業式での安部首相訓示

 平成は自衛隊への国民の信頼が揺るがないものとなった時代だった。平成は世界を舞台に自衛隊がおおきな役割を果たした時代だった。(以下略)

 二番目は「かげりのある話」
 2018年度の卒業生は478人(外国人留学生生を除く)で、任官辞退者は49人(10・3%)。昨年度から11人増となりました。
 安保法制=戦争法の成立した15年度の47人を上回り、過去10年で最多となりました。

 三番目は「まずい話」
 防衛大、下級生いじめ蔓延
 福岡地裁が確認した「下級生へのいじめ一覧」
 
 ・殴る蹴る。エアガンで撃つ。バットや金づちでたたく。熱湯を口に含ませる。
 ・食べきれない量の食事や固いままのカップ麺を食べさせる。
 ・反省文を原稿用紙100枚に書かせる。ノート1冊を「ごめんなさい」で埋め尽くさせる。
 ・風俗店にいき、女性と写真を撮らせる。
 ・裸の下半身を掃除機で吸う。
 ・長時間の空気椅子。裸で際限なく腕立て伏せをさせる。
 ・約250ページある、学生生活の心得が書かれた「学生必携」を一字一句写させる。
 ・廊下を泡だらけににして清掃させる。
 ・体毛に火をつける。


 いい話は、産経新聞。かげりのある話は、しんぶん赤旗。まずい話は、東京新聞。






  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

統一地方選挙茨城県の共産党の予定候補者を紹介します.その8 筑西市 石島いわお氏

2019年03月17日 22時18分40秒 | 地方政治
 
 
 前の衆議院選挙茨城7区、昨年の県議選挙(筑西市区)についで、3回目の立候補です。
 4年前、筑西市では3人立候補し、現職の女性候補・加茂さちえさんが次点で惜敗しました。共産党は、今回の筑西市議選挙でも3名の当選を目指します。

 石島いわおさんは、結城一高卒業後、生協職員として長年つとめてきた方です。私の真壁高校時代の同僚が、前任校の結城一高で担任だったということで、協和地区で街頭演説をしていたときでてきて、「石島君はいないのか」と、であったことで、旧交をあたためることができました。また、選挙終了時には、カンパをもって、応援に来てくださいました。担任の言では「石島はいいやつだった」ということでした。

 とにかく、選挙というのは、候補者がいなくてはできないのです。国政、県政、市政と連続して立候補してくださる石島さん、なんとしても当選させなくてはと思い、私も頑張っています。

 石島さんが、衆院選挙に初立候補したときは、立候補届をしたのは、私です。選挙事務所は古河ですから、古河市の人には行かせるわけにはいきません。そこでに白羽の矢が当ったのです。
 ここは、中村喜四郎氏、永岡桂子氏のも立候補しています。そこで、立候補受付順のくじ引きがありました。
 私は、もらう荷物も少ないから、「3番目でいいよ」とゆずったのです。そして、すぐ古河の事務所に、「ポスターの掲示場所は3番」とケイタイで電話を入れたのです。それを聞きつけた県選管の職員が、「まだ決まっていませんから・・・・・」とクレームをつけてきたのです。
私は、「受付順3番の私が、1番や2番になることがあるのですか」というと、「それはありません」とのことで決着したのです。

 石島さんの名誉のために言っておきますが、石島さんは初立候補で「供託金(300万円)没収」を免れる票をとったのです。
 初立候補で、自分の居住地(筑西市は茨城1区)の外(古河市、結城市、常総市、坂東市等で立候補した「外様」の候補です。
 選挙では、候補者ハガキ3万通の郵送料、候補者ポスターの印刷費も、供託金没収を免れれば、公費負担になりますから、政党助成金をもらっていない共産党にとっては、大助かりなことなのです。
 候補者はだれでもいいわけではありません。それなりに、頼りがいがあり、演説もそれなりにこなさなければ票は入りません。
 石島いわおさんは、もう試され済みの候補者なのです。
 

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする