利根町のみね山のりあき氏
写真の写りが悪くてすみません。入れ替わり撮っていたものですから、手振れでぼやけています。
私はまったく知らなかった人ですが、41歳の新人・みね山のりあき氏です。
利根町を知っていますか。この町は、取手市と利根川はさまれた小さな町です。定数が12です。
利根町の思い出を一つ。私が8年前はじめて当選したときの翌年の統一地方選挙で、奥さんと入れ替わりで当選した共産党議員は3人いたのです。石岡の小松さん、古河の秋庭さん。それに利根町の高木さん。共通していたのは、みなさん奥さんの方が、票を多く取っていたことです。選挙は奥さんにはかなわないのです。
その高木さんは、7年半前に脳梗塞で倒れて以来、7年半の空白議会が続いたのです。そこに新人のみね山さんが立候補表明したというのです。
今日のしんぶん赤旗に「2019挑戦」の囲み記事がありますので、紹介します。
茨城・利根町町議選 みね山のりあき候補
住民主役へキックオフ
統一地方選挙でたたかわれる茨城県利根町議選(定数12)は、7年半ぶりの議席空白をめざす選挙です。
日本共産党は新人のみね山のりあき候補が挑戦します。
プロ選手目指す
小学4年生からサッカーを続けてきたみね山さん。「人生の節目にはいつもサッカーの名場面があった」と話します。ホテルマンになりたいと20歳で就職した1998年、サッカー日本代表が初めてW杯に出場しました。
アルバイトのホテルマンとして勤務しながら、都内の社会人でプレー。日本でプロサッカー選手を目指しましたが、厳しい入団テストなどプロの道は狭き門でした。夢を捨てきれずに24歳の時に単身でブラジルへ。現地の貧しさを目の当たりにしながらサッカーにうちこんできた青年時代でした。
帰国後、大学サッカー部の監督業などを続けて来ましたが、2017年8月に利根町に移り住み、町の地域おこし協力隊員として働きはじめました。
お年寄りが進退に負荷をかけずに楽しめるスポーツの考案など、地域活動のサポートを継続。協力隊員として町にかかわる中で「地域活動に参加したい」「住みやすい町にしてほしい」といった声が寄せられ、住民の声を行政に届ける必要があるのでは、と思ったのが政治を意識するようになったきっかけです。
町の大きな課題として浮かび上がったのは、町民の移動手段の確保でした。「買い物に行っても帰りのバスがなく、生ものが買えない」といった切実な声が今も、みね山さんのもとに寄せられています。
「好きなときに好きな所に行ける町にしたい」と町議選では地域交通の充実を掲げています。「町民の代表者ではなく、町民の代弁者になりたい」と決意をかたるみね山さん。住む人たちが生き生きと、明るく楽しく元気に暮らせる街づくりをしたいと意気込みました。
党の歴史に誇り
昨年9月に共産党に入党したばかり。きっかけは、大好きなサッカーも日々の暮らしも、戦争や原発事故があっては成り立たないと感じ、これに一貫して反対を貫いている共産党の存在を知ったからでした。
「世界をみても一世紀近い歴史があるクラブチームは決して多くありません。党創立100周年を4年後に控え、長い歴史をもつ党でたたかえる誇りを胸に、町議選に挑みます。
注)共産党の集会で、はじめてみね山さんを拝見しました。いきなりサッカーの話からはじまったので、びっくりしたのですが、共産党にも多様な方がいるものだと感心した次第です。
健闘を祈ります。