菊池のぶひろの議会だより

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「自民党の劣化」ー内田樹(たつる)氏が読み解く

2021年08月29日 17時46分44秒 | 日々の雑感
 今日の東京新聞には、神戸女子大学名誉教授・凱風館館長 内田樹氏が、「自民党の劣化」として、書いている。私も、以前の自民党には、いろいろな方がいたが、今は、本当に人材がいなくなったと思っている。内田氏の「読み解き」を紹介したい。

 自民党の劣化
 内田 樹 


 「自民党はどうしてこんなにダメになってしまったのか?」というにべもないテーマで取材をうけた。インタビュウアーは私よりだいぶ若い人たちであったので「55年体制」とか、「角福戦争」とか単語だけは知っているがリアルタイムで見たことがない。しかたがないので、かっての自民党がどんな政党であったかをお話した。

 自民党はある種の「国民政党」だった。党内にはハト派からタカ派までイデオローギー的には水と油のような派閥を抱え込んでいた。その派閥同士が血で血を洗うような抗争を展開して、「疑似政権交代」が行なわれ、それが求心力を担保していた。
 60年安保闘争が国論の深い分裂をもたらした後、「寛容と忍耐」を掲げる池田勇人内閣が出てきて、イデオロギー的な国内対立を「棚上げ」して、左右問わず全国民が受益者となる「所得倍増」政策をぶち上げた、
 その十年後には、佐藤内閣のベトナム戦争への加担をめぐって再び国内は分裂したが、その後を受けた田中角栄内閣は今後も左右の対立を「棚上げ」して、「日本列島改造論」で全国民的規模の多幸感をもたらした。
 図式は同じである。イデオロギー的に尖った施策をゴリ押しする政治家のせいで国論が二分した後には、「まあまあ」と懐に金をねじ込んで、喧嘩を収めるタイプの政治家が登場する。そういう「二人羽織」みたいなのが自民党の18番であった。
 私はそういう「食えないおやじたち」を好きでもなかったし、尊敬もしていなかったが、「歯が立たない」とは思っていた。
 
 私の友人で過激派だった男が卒業後に就職先がなくて、しかたなく父親のつてで田中角栄に会いにいったら、「若者は革命しようというくらい気概があった方がいい」と言って、就職先を紹介してもらった。彼はたちまち越山会青年部の熱烈な活動家になった。
 この時代の自民党の党人派の政治家たちには、敵味方を截然と分かつよりも、とりあえず縁あって「草鞋をを脱いだ」人間は一家に迎え入れるという仁義を守る者がおおくいたのである。
 この政治的な節度のなさの理由の一つは、戦後の政治家たちの出自がばらばらだったことがかかわっていると思う。私のかっての岳父(奥さんの父)は自民党衆院議員を五期務めたひとだったが、戦前は日本共産党の中央委員だった。その叔父は戦前は農本ファシストだったが戦後には社会党政権の大臣になった。「政治的立場は違うが人間はよく知っている」という個人
信頼関係が55年体制の「国体政治」の底流にはあった。

 今の自民党にはもうそういう「人脈」を持つ政治家はいないし、「寝技」や「腹芸」を使える者の絶滅危惧種となった。あの手の「芸」は若い頃から場数を踏まないと身につかないが、今の自民党はほとんどが世襲議員かメディア有名人上がりだから、修行を要する「芸」は身についていないし、政党を超えた人間的な関係もない。あれは「一緒に修羅場をくぐった」もの同士が取り結ぶものだが、乳母日傘で育った世襲政治家たちはそもそも「修羅場」というものを見たことがないのである。
 自民党の劣化は組織や綱領の問題ではなく、政治家の質の低下がもたらしたもたらしたものであるという話を若いインタビュアーに聴かせた。
(神戸女子大学名誉教授・凱風館館長)
 
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